軒端の梅は我をわするな -式子内親王墓の推定について その3
4 常光院の所在 多くの常光院候補がある中で、①は寿永二年(1183)年7月の平家都落ちの...
軒端の梅は我をわするな -式子内親王墓の推定について-その2
3 幻の常光院 常光院については、明月記の正治元年七月十七日に、出羽守基定の細君が、嫉妬により、常光院に行って、浮気相手を打ちすえて、大炊御門殿まで参上して子細を訴え、式子内親...
軒端の梅は我をわするな -式子内親王墓の推定について- その1
(ウェッブリブログ 2015年03月15日~) 眺めつる今日は昔になりぬとも軒端の梅は我をわするな式子内親王 正治二年後鳥羽院初度百首 建仁元年1月25日薨去 旧暦の命日...
式子内親王の名前 天文鈔本新古今倭謌集春夏より
天文鈔本新古今倭謌集春夏(新古今集古注集成 中世古注編 1)ノリコ 後白河院ノ御妹ナレ式子内親王 ドモムスメニ成玉フ四十...
都名所図会 平安城首 般舟三昧院(伝式子内親王塚)
はんしういん般舟院般舟三昧院は今出川通糸屋町の西にあり。宗旨(天台 真言 ...
式子内親王伝 蔵書
面影びとは法然 式子内親王伝 石丸晶子 作者:石丸晶子 初版:1989年12月20日 発行:朝日新聞社 ...
軒端の梅 吉田経房別邸 京都坊目誌
京都坊目誌上京第二十七學區(吉田町)之部 363頁下段 古蹟 ○吉田經房ノ趾 字中小路にあり。今詳ならず。或は云う。舊龍神院門...
明月記 元久二年六月八日 吉田邸隣火事
明月記 元久二年六月 八日。天晴る。…略。 土御門の末吉田、故経房大納言の向ひに、焼亡あ...
明月記 元久二年正月十七日 吉田社南御殿造営反対
明月記 元久二年正月 十七日。天晴る。夜雪斑なり。…略 傳へ聞く。吉田社の南に、院の御所...
軒端の梅 言葉集 藤花見の誘い
言葉集第十四 雑上 本院ノ藤サカリナリケ○○ コゝロアラン人ニミセハヤト 女房申アヒタリケレハ 高倉三位ノ御許ヘヨミテ タテマツリケル 前斎院帥 ミセハヤナイロモカハラヌ...