ほに、あさの御衣、かみのふすまなんどかけられたり。さしも
本朝かんどの、たへなるたぐひ、かずをつくし、れうらんきんしう
ほうわう
のよそほひ、さながら夢にぞなりにける。法皇御涙を
くげう
ながさせ給へば、ぐぶの公卿殿上人も、まのあたり見奉り
し事共、今のやうに覚えて、みな袖をぞしぼられ
ける。やゝあつてうへの山より、こきすみぞめの衣きたり
けるあま二人、岩のがけぢをつたひつゝおりわづらひたる
さまなりけり。法皇あれはいか成ものぞと仰せければ、らう
いは
に涙をおさへて、花がたみひぢにかけ、岩つゝじとりぐして
もたせ給ひてさぶらふは、女院にてわたらせ給ひさふらふ
つま木にわらびおりそへてもちたるは、とりがひの中
でう
納言これざねがむすめ、五条の大納言くにつなのやう
子、せんていの御めのと、大納言のすけのつぼねと申も
あへずなきけり。法皇御涙をながさせ給へば、ぐぶの公卿殿
上人もみな袖をぞぬらされける。女院は世をいとふ御装
ひといひながら今かゝる有さまをみえ參らせんずら
んはづかしさにきへもうせばやと、思召せん共かひぞなき。よ
ひ/\ごとのあかの水むすぶ袂もしほるゝに、あかつきおきの
つゆ
袖の上、山路の露もしげくして、しぼりやかねさせ給ひけん、
あんじつ
山へも帰らせ給はず。又御庵室も入せおはしまさず。あきれ
はながたみ
てたゞせまし/\たる処に、内侍の尼參りつゝ花筐を給りけり。
平家物語巻第十二 平家物語灌頂巻
十 小原御幸
十 小原御幸
ほに、麻の御衣、紙の衾なんど懸けられたり。さしも本朝漢土の、妙なる類、数を尽くし、綾羅錦繍(れうらんきんしう)の粧(よそほひ)、さながら夢にぞなりにける。法皇御涙を流させ給へば、供奉の公卿殿上人も、目の当たり見奉りし事ども、今のやうに覚えて、皆袖をぞ絞られける。
ややあつて、上の山より、濃き墨染の衣着たりける尼二人、岩の崖路を伝ひつつ下り煩ひたる樣なりけり。法皇、
「あれはいかなる者ぞ」と仰せければ、老尼、涙を抑へて、
「花筐臂に掛け、岩躑躅取り具して持たせ給ひて候ふは、女院にて渡らせ給ひ候ふ。爪木に蕨折り添へて持ちたるは、鳥飼の中納言伊実が娘、五条の大納言邦綱の養子、先帝の御乳母、大納言の佐の局」と申すもあへず泣きけり。法皇、御涙を流させ給へば、供奉の公卿、殿上人も皆袖をぞ濡らされける。
女院は世を厭ふ御装ひと言ひながら、今かかる有樣を見え參らせんずらん恥づかしさに消へも失せばやと、思し召せんども甲斐ぞ無き。宵々毎の閼伽の水結ぶ袂も萎るるに、暁起きの袖の上、山路の露も茂くして、絞りやかねさせ給ひけん、山へも帰らせ給はず。又御庵室も入せ御座しまさず。呆れて、ただ狭し狭したる処に、内侍の尼參りつつ、花筐を賜りけり。
※宵々毎の閼伽の水結ぶ袂も萎るるに
(参考)
夫木和歌抄
朝な朝な閼伽の水汲みしきみ摘み苔の袂は岩に触れつつ
※暁起きの袖の上、山路の露も茂くして
(参考)
新古今和歌集巻第十七 雜歌中
百首歌奉りしに山家のこころを
小侍從
しきみ摘む山路の露にぬれにけりあかつきおきの墨染の袖