ひぐらし
紀行
日光街道の初秋(2001年)
東京へ帰ってきてから、普段口の為に忙しくていたと自ら笑ってしまう。8月末に休暇を頂いたことから、普通と違う漂泊のような旅に出ようと思い立った。杜甫、西行や芭蕉などは旅の厳しさ、寂しさの中から優れた詩を創って来た。「行き/\て倒れ伏すとも」ほどではないが、この旅で自分を見つめながら自転車を漕いで行こうと地図も持たず、ただ奥の細道のみ携えて、千住の橋の芭蕉の碑を起点として旅立つ。
まず、日光街道の最初の宿場町草加へ着く。草加は、芭蕉の最初の宿泊地とされ、綾瀬川の川端を松並木とし、芭蕉の像など設置して、宿場町として公園整備を行っている。
松並木草加櫓の残暑かな
これを矢立の始めとして、公園に設置している矢立橋、百代橋をわたってみる。
綾瀬川を越え越谷に入ると、阿波踊りのお囃子が聞こえてきた。四国の踊りが越谷でも踊られているのをみて。
越谷の囃子も響く阿波をどり
近くのお寺の境内で、夏休みも最後の頃となる小学生の相撲大会を開催しており、その、勝敗が決する度に親たちの歓声が響く。
くろんぼの野ずまう見る目
親たのし
途中神社で休憩したが、せみしぐれの中、一羽のカラスがゆっくりとしたリズムで鳴いていた。
蝉しぐれ烏が和する古社
真っ直ぐ春日部に向かう。8月も末近くになり、夕方近くになるとだいぶ涼しくなり、あれほど暑苦しさを感じていた蝉の声も少しは柔らかに聞こえるようになった。
蝉こゑも静かに聞こゆ
処暑の夕
幸手の町通りを行くと古びた鳥居があり、奥へ入ってみると社が火事となり、焼け跡がそのままとなって朽ちていた。大きな木の幹まで火事の痕が痛ましく。
夏草や鎮守の杜の火事の跡
昼の陽気が嘘のように夕暮れは涼しくなってきた。季節が夏から秋へ変わりつつあるのが、分かる。
陰陽の変わり目の時夕涼み
日も沈み暗くなったことから、第一日は栗橋までとした。栗橋は、静御前が義経を慕って平泉まで行こうとして、栗橋の近くで義経の首と再会し、ショックのあまり病となり死んでしまった所である。駅前に静御前の墓があった。
たそがれの夏の寂しさ
しずの墓
小山市の安房神社の鬱蒼としたタテの森が市の天然記念物となっており。
古社ベンチに涼む白きねこ
蜩の昼なを暗き樅の杜
小山市を流れる思川という川の支流に姿川という川の橋を渡ったとき、「姿」と「思」という川の名前に興味を引かれ。
我が姿
川面にうつし流れゆく
思ひとなりて君にとどけよ
小山の辺りは5世紀頃の古墳が多く、摩利支天塚古墳という栃木では一番大きな古墳を見る。前方後円墳を見るのは初めてであるが、古墳の上には神社が祭られており、まわりの杉の森で全体がよく分からなくなっている。また藪蚊が多くあちこちを刺されてしまった。
輪唱のひぐらしの中
塚の上
そろそろ暗くなって来たので、歌枕で有名な室の八島へ行こうと看板の地図などを見ながら思川を何度も行ったり来たりしたが、まわりに民家も無く、暗くなって道に迷ってはいけないと思い、遠くの東武線の電車の音の聞こえる方へ行くこととした。
煙り立つ室の八嶋は遠くにて
夕靄かすむ思ひの辺りや
第2日目は、壬生までとした。
壬生は関ヶ原合戦前に伏見城で家康の命を守り戦死した鳥居家の元領地で、百五十年前に干瓢の生産を奨励し、発祥の地であると記念碑が建っている。夕顔は源氏物語での光源氏の愛人の名前にもなっているくらい可憐な花をつけ、その実を干瓢とするのだが、畑に放置しておくと三十㎝くらいの大きさになる。
ゆうがおの
ごろんごろんと地に生ゑる
壬生から一旦室の八島のある大神神社戻った。鬱蒼とした林の中に池があり、中に小さな八つの島を作ってあった。歌枕の地で定家や芭蕉などの歌の案内があったが、小さなものであまり感動するようなものではない。ただ、芭蕉も「あらとうと木下暗も日の光」と吟じたように、大樹がそそり立って、あぶらぜみや法師蝉など多くの蝉が競って鳴いていた。水琴窟があり、水を流すと誠に不思議な音がする。
数々のせみの競いて静かなり
水琴窟の微かに響く
鹿沼から御成橋を渡って、杉並木の間の例幣使街道を行く。途中まで木を敷いた歩道があり、ガタガタと揺れると思ったら、後ろのタイやの空気がほとんどなく、文狭から下野大野まで自転車を押して歩く。こんな普通の人の通らない道を歩くのは私くらいのものだ。
ただこっつこっつと自分の足音を聞くのが好きなだけと北宋の詩人も書いていたが、まさにその通りではある。が、人通りはないものの、車の往来が激しく、並木の間を道が通っていることから道幅が狭く、その中を自転車を押して歩いているので、邪魔な存在として車が避けて行く。
幾世代
威光を放つ杉並木
やっとのことで下野大野駅に着いたので第三日目は、ここまでとする。
日光街道の杉並木は、今市からは車道から分かれて歩道となっており、昔ながらの旅を満喫できる。そのうちだんだん登りが少しきつくなり、車道に出るため、車に注意しながら自転車を漕ぐ。
日光へ着くと駅で観光地図を入手し、日光山輪王寺に向かう。厄除けということで、参拝し、東照宮へ入ろうとしたが、入場料が千三百円という高額なので、止めて二荒山神社に参詣する。縁結びの結び笹というものがあり、拙い歌を奉納し、良縁を願う。
結び笹
やはらにそそぐ日の光
ふりて届けよ
秘めたる想ひ
日光では、薄曇りで柔らかな日がさしている。
やわらかに大樹にそそぐ
日の光
憾満淵という急流の淵があり、地蔵が並んで設置していた。大正天皇御製歌の碑があり、よく散策されたとのこと。
深緑の青葉も濡らすかまヶ淵
山の方に裏見の滝という滝の裏から見られるところがあるが、あまりに疲れたため割愛する。
遠き道
裏見の滝を振り返ず
行きと違って帰りは下りなので自転車は心地よいスピードで杉並木の間を下っていく。
杉の壁左右に振りて山下る
次の宇都宮までかなり遠いことから、無理をせず、第四日目も今市までとする。二宮尊徳を祭る社に詣でる。
宇都宮というところは、餃子の町として知られ、家計調査年報によると一世帯当たりの消費金額が三千七百円もあり、全国平均の二千五百円を大きく上回っている。その宇都宮の人の餃子好きを商工会議所が町興しとして、駅に餃子のモニュメントなど作り、全国に宣伝するとともに、ふるさと情報館「来らっせ」を二荒山神社の横に設置して、市内各店の餃子を日替わりで提供している。商工会議所の着眼点の良さに敬意を表して。
口焼いて
ビールほう入る
来らっせ
鬼怒川を渡る。連日大雨洪水警報が出ていたが、夜は雨が降ったらしく、川は濁って幅も広い。
昔は、絹川と書いたが、地図作製者がいやなことがあったのか鬼が怒る川としたそうだ。
鷺が、向こう岸まで渡るのを見て。
絹川の濁り流るる川幅を
真白きさぎの渡りゆくなん
真岡に入る。突然ポルトガル語の看板とブラジル国旗が目に入る。歩いている人もブラジルから働きに来ている方が多い。滝を模した公園で休む。
遥かなる異国の地にも小瀑布
第五日目は下館までとして、関東鉄道に乗る。次の日は雨のため家に居ることとした。
筑波山は男体山と女体山と二つの信仰の山があり、古くからの歌枕の地で、陽成院の歌が有名。筑波山神社までの登道を約4㎞行く。バスに乗れば良かったと途中で後悔した。神社からケーブルカーで山頂まで行く。
筑波嶺の男女(みな)の間を流れ行く
恋瀬の川も渡せかささぎ
筑波嶺の山に登りて
歌垣の歌を詠めども
こだま返らず
昔廃止された線路道がサイクリングロードとして整備されており、車道と交差しないので、とても走り易い。収穫を待つ稲が左右に揺れている。
廃止線分ける黄金の稔りかな
朝夕の光の微妙な変化は見る人を楽しませると言うが、曇り空が夕方になって日が射してきて、朱から紅に空の色が変化して誠に感動を覚える。
拝むほど神々しさや
秋の入り
第六日目は、サイクリングロードの終着地土浦までとした。
今日は夏休みも最後なので、とにかく家まで帰らなければならない。ひたすら自転車を漕いで、6号線を行く。途中牛久沼で昼食とした。牛久沼は、牛久市ではなく、竜ヶ崎市にあり、うなぎ料理が名物というので、体の疲労も溜まっていることから、沼の畔のうなぎの店で食す。
釣りふねも
静か漂う牛久沼
風立ちぬ
輝る水面の移り行く
湖沼の秋は静かに暮るる
旅立った頃は、昼は蝉時雨、夕方はひぐらしの声が響いていたが、もう秋の気配が漂い、すず虫やこおろぎの鳴く音が聞こえる。
ひぐらしを
唄い継ぎたる秋の虫
ようやく六十㎞の行程を終え、荒川に着いた時は、もう八時を過ぎ、この初秋の旅も終わりとした。