893世間乎宇之等夜佐之等於母倍杼母飛立可祢都鳥尓之安良祢婆
世間を憂しとやさしと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば
●体系 高木市之助他 岩波書店 P101
やさし―語源は痩ス。ヤス→ヤサシ(痩せるような気持がする)。これが後に、恥かしい意と、優美な意とに転じ、さらに平易の意味となる。
―補注 P438
やさし ヤサシは痩すという動詞の派生語である。アケ(明)→アカシ(明し)、フケ(更け)→フカシ(深し)、アレ(荒れ)→アラシ(荒らし)という形式によって、ヤセ(痩せ)→ヤサシが考えられる。ヤサシとは、つまり、身も細る感じだという意味である。世の中を「憂しとやさしと思へども」というのは、世間に対して、つらくて、身も細るように感じるけれども、という意味になる。身も細るとは、恥かしく感じるのであり、恥かしく感じているような人々は、外から見ても優美だという意味になる。名義抄に、○・○・艶をヤサシと訓み、色葉字類抄に、○をヤサシ・アテナリとしている。延慶本平家物語には、「此女、一首ヲシタリケルニ聞アヘス返事シタリケルコソヤサシケレ」などの用例がある。日葡辞書には、Homem comedido,bem criado,&amoroso.(節度ある、十分訓練された、そして情味のある人)という説明がつけられている。平家物語の例などには、殊勝だというような、価値評価の気持が加えられている。たやすいとか、平易であるという意味は、江戸時代以降になって生じたものである。
●全集
やさし―肩身が狭い、恥ずかしい。本来動詞痩スから派生した形容詞で、きまりが悪くて身が細るように思われる、が原義。
●新体系
生きているのも恥ずかしい
●集成
厭しと恥しと 仏教語「厭恥」などの翻案語。
●全注
世の中を憂しと恥しと思へども 涅槃経高貴徳王菩薩品、涅槃経梵行品、遺教経。煩悩世間を厭い、恥ずかしいものとして内に反省し、外に懺悔する心を言う。慈円の歌に「物の恥を思ひ知る人はとにかくに心と身とぞ世に有り難き」(拾玉集)。
●私注
憂いと思ひ、恥づべきものと思ふけれど
語釈 ヤサシト(八五四)に見えた語である。世の中を恥づべきものと思ふといふのは、生き居るに堪へないといふ程の意であらう。
●注釋 澤瀉久孝 中央公論社 P258
憂しとやさしと―世の中を憂く思ひ恥かしく思ふ。「やさし」は恥かしの意(八五四)。
●全解 多田一臣 筑摩書房 P277
恥し―「ヤサシ」は、「痩す」と同根。周囲の目を意識して、身も細る思いがする意。ここは仏教的な慚槐の念。貧苦にまみれてこの世を生きることは、宿縁の拙さの露呈にもつながり、そこに慚愧の念が生ずる。「嗚呼恥づかしきかな、○しきかな。世に生まれて命活き、身を存へむに便無し。」(日本霊異記下三八縁)
●全歌講義 阿蘇瑞枝 笠間書院 P201
憂しと恥しと 情けないとも恥ずかしいとも。「やさし」は、身が細るほどに恥ずかしく感じる、が原義。
●釋注 伊藤博 集英社 P195
厭しと恥しと 仏教語「厭恥」などの翻案という。(芳賀紀雄「貧窮問答の歌―短歌をめぐって―」)万葉第九十三号)。「恥し」は身のやせる思いをする意。
●全注釋 武田祐吉 角川書店 P532
ウシトヤサシト。ヤサシは、既出(巻五、八五四)恥かしの意。世間を憂しと思い、また恥かしいと思えども。
854 P472
キミヲヤサシ。ヤサシは、はずかしい意の形容詞。動詞痩スから轉成したものの如く、痩せるようにあるをいうのであろう。そこで後に、強盛でないことの意に分化を遂げた。「世間乎宇之等夜佐之等於母倍杼母飛立可祢都鳥尓之安良祢婆」(巻五、八九三)。君ヲヤサシミは、君に對してはずかしくて。
「とや」の用例
万葉集巻十一
2370 戀死戀死耶玉桙路行人事告兼
恋ひしなば恋ひも死ねとや玉桙の道行く人の事も告げけむ
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