こんな話がある。
昔々、陽成院のいらっしゃった所は、二条通よりは北、西洞院大路よりは西、大炊御門大路(竹屋町通)よりは南、油小路よりは東の二町にお住まいになられていたが、院が御隠れになった後には、冷泉院の小路(夷川通)をば開けて、北町は人の家どもになって、南町には陽成院の御代にお造りなられた池など少し残って有ったそうじゃ。
その南町にも人が住むようになった時に、夏ごろ、西の対の縁側の簀子に男が寝ていた所、身長90cmばかりの老人が来て、寝ていた男の顔を触り始めたので、男は怪しいと思ったが、怖くて何も出来なかったので、そのまま寝たふりをして、老人はゆっくり帰って行くのを、星明かりに見ていると、池の淵まで行って、かき消すように消えたんじゃ。池を手入れする者もいない事から、浮き草、菖蒲が生い茂って、大変気味悪く、恐ろしげであったんじゃ。
そういう事で、いよいよ「池に住む妖怪じゃ」と恐ろしく思っていたら、その後も夜な夜な来て顔を触っていったので、これを聞く人は皆、怖がり合ったが、腕に覚えのある者がいて、「ならばよし、俺がその顔を触る者を捕らえてやろう」と言って、その縁側にただ一人麻縄を持って寝た振りをして、夜もすがら待っていると、宵の程には表れ無かったが、夜半を過ぎたと思う程に、待ちかねて少しまどろんでいると、顔の表面に物の冷ややかに当たったので、待ってましたと、夢うつつにもはっと気が付いて、驚くままに起き上がって、その者を捕らえて、麻縄で縛って、高欄に結い付けたんじゃ。
そうして、周りの者にふれ回って、人が集まって火を灯して見れば、身長90cmばかりの小さな老人が、浅黄色の裃を着てたいかにも弱々しくして、縛り付けられたまま目をぱちくりさせていたんじゃ。人々は、問いかけるが老人は答えもしなかったんじゃ。暫く経って、老人は少し微笑んであっちこっちを見回して、か細い声で言った。
「盥に水を入れて来てくれないか」と。それで、大きな盥に水を入れて老人の前に置いたところ、老人は首を伸ばして、盥に向かって水に映った自分の姿を見て、
「我は水の精なるぞ」と言って、水にずぶりと飛び込んだところ、老人の姿は見えなくなったそうじゃ。さて、盥の水は多くなって、縁よりこぼれて、縛った縄は、結んだまま、水の中に有ったんじゃ。老人は水になって解けてしまったので消えたのじゃった。人々はこれを見て、驚き不思議に思ったんだと。その盥の水は、溢さないように抱き抱えて池に入れたんじゃ。
それより後は、老人が来て人の顔を触る事は無くなったんじゃ。これは水の精が人になっておったんじゃと人々言っていたと語り伝えたんじゃと。
今昔物語集
巻第二十七 冷泉院水精成人形被捕語第五
今昔、陽成院の御ましける所は、二条よりは北、西の洞院よりは西、大炊の御門よりは南、油の小路よりは東、二町になむ住せ給けるに、院の御さで後には、其の冷泉院の小路をば開て、北の町は人家共に成て、南の町にぞ池など少し残て有ける。
其れにも人の住ける時に、夏比、西の台の延に人の寝たりけるを、長三尺許有る翁の来て、寝たる人の顔を捜ければ、「怪し」と思けれども、怖しくて、何かにも否為ずして、虚寝をして臥たりければ、翁、和ら立ち返て行くを、星月夜に見遣ければ、池の汀に行て、掻消つ様に失にけり。池掃ふ世も無ければ、萍・菖蒲、生繁て、糸六借気にて怖し気也。
然れば、弥よ「池に住む者にや有らむ」と、怖しく思けるに、其の後、夜々来つつ捜ければ、此れを聞く人、皆恐合たる程に、兵立たる者有て、「いで、己れ其の顔捜るらむ者、必ず捕へむ」と云て、其の延に只独り、苧縄を具して、終夜待けるに、宵の程見えざりけり。「夜半は過やしぬらむ」と思ふ程に、待かねて少し□たりけるに、面に物の氷やかに当りければ、心懸て待つ事なれば、寝心にも急と思えて、驚くままに起上て捕へつ。苧縄を以て、只縛りに縛て、高欄に結付つ。
然て、人に告れば、人集て、火を灯して見ければ、長三尺なる小翁の、浅黄上下着たるが可死気なる、縛り付けられて、目を打叩て有り。人、物問へども、答へも為ず。暫許有て、少し咲て、此彼見廻して、細く侘し気なる音にて云く、「盥に水を入れて得むや」と。然れば、大きなる盥に水を入て前に置たれば、翁、頸を延べて盥に向て水影を見て、「我れは水の精ぞ」と云て、水につぶりと落入ぬれば、翁は見えず成ぬ。
然れば、盥に水多く成て、鉉より泛る。縛たる縄は結はれ乍ら水に有り。翁は水に成て解にければ失ぬ。人皆此れを見て、驚き奇けり。其の盥の水をば、泛さずして掻て池に入てけり。
其より後、翁来て、人を捜る事無かりけり。此れは水の精の人に成て有けるとぞ、人云けるとなむ語り伝へたるとや。
昔は、よく水や木や金属の精が人や動物の形になって人々の前に姿を現す事が有った。所謂「物の怪」である。
現在も物の怪は現れているかも知れないが、人の目には映らなくなっただけなのかもしれない。山奥を一人で歩いていると、人でも無い神でも無い気配を感じる事がある。木霊なのだろうと理解している。
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