新古今和歌集の部屋

大炊御門殿の小人型宇宙人

こんな話がある。

鎌倉時代の式子内親王に仕えた竜寿と言う女房の大炊御門殿(今の京都地方裁判所辺り)での不思議な話を、弟の藤原定家が日記に記録したものである。

九月十二日 天気晴。一日中曇らず。夜も月で明るかった。珍しいことだ。
姉の竜寿御前が、八条院にいる姉の健御前様の所へ行き、又連れ添って我が家に来た。夕方にはお二人とも帰られた。
竜寿御前と色々な話をした。その次でに言った、
「定家よ。聞いてくれる?式子内親王様に一緒に仕える信濃と言う女房がいて、いつも嘘ばっかりつくの。そこで大炊の御殿の東の車寄せの南の狭い所に押し込めたのよ。そしたら、とても怯えた様子だったの。不審に思ったので、しつこくその理由を聞いたのよ。なかなか、理由を言わないので、何度も強く問い質すと、やっと話始めたの。
『去年の七月の頃かと存じます。お客様をお迎えするために、女一人で、そこの細所に入ったところ、おんなじ形で寸分違わない者が六人、並んで座っていて、私めと話をしたのでございます。その言葉のうちに、私めは、約束をしたのでございます。大炊御門の御所の為においても、災いや凶事を成さず。あちらこちらを走り回らず、この所に坐せられれば、何も騒がない。絶対に人に語らないと申しました。よってこの事、一切他人に話してはならないと存じます』
と言うのよ。重ねてのその容姿、その者の様子の詳細などを問い質したけれども、詳しい事は恐れおののいて、何にも答えないで秘密です。言ってはならないとだけ、繰り返し言うのよ。ただし、法師でもなく、尼でもなく、女でもなく、子供でもないというらしいのよ。想像するに、人よりは小さいかも。極めて不思議と言っても、多くを語らないのは、私の力及ばずだったわ。そもそもこの女房、泥の如く汚れた所に置いたとしても、嘘をつくような者ではないのよ。よって信じたわ」と言うことだ。
今この事を聞いて、不思議で不思議でしょうがない。ただし、嘘で無いとすれば、前代未聞のミステリーだ。これ以上不思議な話が有ろうか?この大炊御門殿では、そう言う噂をよく聞く。後鳥羽院の御所だった時、お仕えの女房たちが見知らぬ尼を見て、恐れをなしたとか。又斎院様が、先年御寝殿としておられた時、女房の周防が、驚く事があった。その事があった後に御寝殿に行かなくなったそうだ。
私は、この御所に通うこと十五年。禁裏となった時代、上皇様のお住まいなった時代、右大臣兼実公の息女の任子中宮様の御殿となった時代といい、日夜慣れている。いまだかつてこんな不思議の事を見たことはなく、この事大いに珍しいと驚っている。良経様がお住まいだった時、また女房たちが時々怖がっている時があった。今思うと、すこぶる様々な事を人々が言うだろうか?後日、これを聞いてみたが、全く変わった事は無いと前言を翻して言っている。又、他にも民部卿吉田経房卿がお出でになった時に、女房の周防に会うために、室内で待っている時に、一人の尼が来て傍らに座ったとの事。出家した前斎院別当殿も来るのを知っていたので、何も驚かずにいた。ところが、ちょっと目を離したら、その尼が忽然と消えたとおっしゃっていた。ー略ー。



明月記
正治元年九月十二日 天晴る。終日陰らず。夜月明し。甚だ珍しいとなす。竜寿御前、健御前に渡らる。又同じく会合す。夕に両人帰られ了んぬ。ー略ー。竜寿御前、今日物語る。其の次でに云ふ、召し仕ふる所の女房(信濃と号す)、虚を吐かしむるため、御所(大炊殿)東の車寄せ、南の細所に入れしむ。而れども、怖畏の気色あり。奇しく思ふに依りて、強ちに其の故を問ふ。甚だ秘蔵すと雖も、強ちに問ふの間、語りて云ふ、去年七月の比か、伺ひ見舞ふため、女一身、彼の細所に入るの間、同形寸分違はざる物六人、並びて坐し、我と問答す。其の詞の内に、我約束して云ふ、御所の為に奉りても、凶を成さず。奔り散ぜず、此所に坐せらるれば、何事か在らんや。全く人に語るべからずと申し了んぬ。仍て此の事、一切披露すべからずの由、存ずと云々。重ねての其の容体、物の様を問ふと雖も、委しき事は怖畏を成すに依り、之を秘し、申すべからざるの由、称すと云々。但し、法師にあらず、尼にあらず、女にあらず、児にあらざるの由を称すと云々。推し量る所、人ヨリハ小物か。極めて不審と雖も、語らざるの間、力及ばず。抑々件の女房、泥の如く尾籠にありと雖も、虚言を好まず。仍て信受する所なりと云々。
今、此の事を聞く。奇して、猶奇すべし。若し虚言あらざれば、末代の奇特、何事か之に過ぎんや。仍て之を記す。惣じて彼の所、事に於て、此の如きの聞えあり。院の御所たる時、女房等尼を見、恐れを成すと云々。又斎院、先年御寝殿たるの時、女房周防、驚く事あり。其の事を申すの後、御寝殿にあらずと云々。予、彼の御所に値遇すること十五年。禁裏と云ひ、射山と云ひ、槐門の椒房と云ひと日夜に相馴る。未だ嘗て不審の事を見ざる間、此の事大いに奇とし驚く者なり。殿下御坐すの時、又女房達、時々畏怖の気を称す。今思ひ合はするに、頗る云々の説等あるか。後日之を問ふに、全く別事無しと云々。又云ふ、民部卿参ずるの間、周防に謁するため、簾中に在るの間、尼来たりて傍らに坐す。別当殿来る由を存じて、驚かず。又見に遣すの時、忽然として見ずと云々。ー略ー。

京都裁判所の桜

度々不思議な目撃例があるとの事。定家の日記だけでは無く、大炊御門殿の元の住人の藤原兼実の日記玉葉の建久八年三月十六日にも「從閑院、遷御大炊御門齋院御所云々。或云爲蹴鞠云々。或云、有御夢想事、但秘藏云々」と後鳥羽院主催の蹴鞠中に「御夢想」の事があった事が、蟄居中に伝えられたとの事。
現在、世界中に似たような話が伝えられている。定家は、リアルタイムの怪談を伝えている。従って、鎌倉時代の夢物語と言うには、あまりにもリアル過ぎる。
「法師にあらず、尼にあらず、女にあらず、児にあらざるの由を称すと云々。推し量る所、人ヨリハ小物か」とまるでグレイ型の宇宙人を見たとの証言のようである。


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