山部赤人 歌の譯
赤人人麿を山柿といふ話 海北若沖赤人事跡考の話
猿丸大夫 歌の譯
弓削道鏡の話 白壁皇子老年にて太子に立ち給ふ話
中納言家持 歌の譯
氷上川継謀反の話 早良親王種継を殺し給ふ話
安倍仲麿 歌の譯
遣唐使の話 吉備公唐より帰朝の話
仲麿阿南へ漂着の話 仲麿の従者唐女をめとる話
岩見国に
人麿出
現の柿
とて筆
柿といふ有。
是かたち
を似ていふ。
則本草に
いはゆる
鹿心梯
和名
夜末加岐
なるものなり。
大和本草曰
山柿葉如○
柿實大如棗
而圓味如○
柿而◎云々
※○木へんに卑、◎方へんに甘
かきのもとの
まうち君の
いそのかみ
のはかにて
人々歌よみ
侍けるに
よしの
山さくらを
雲と
見し人の
名をば
苔にも
埋ま
ざりけり
前権僧正
範玄
家隆卿柿本講式曰
大和國添上郡石上
寺のほとり作道の
森の中に一の草堂を
建てこゝに柿本を
葬す身は龍門の土
に埋むとも詞は鳳
闕の寳となれり
云々
新撰姓氏録曰
大和皇別
柿本朝臣
大春日朝臣同祖。天足
彦國押人命之後也。敏
達天皇ノ御世、依家門
有柿樹、為柿本臣ノ氏云々
秦の夏后 和気清麿の
唐の武后 事は、日本後記
淫行ありて 闕本、類聚
其國を 國史等に
乱す 其傳
孝謙帝 はなはだ
深く道鏡 つま
を寵し びらか
給ひ天下 なり
みな囂〃
たり遂に
天威
を
望む
に
いたる
然ども猶
宇佐の
神勅を
うかがふ
て
ゆるさず
清麿
道鏡の
威厳を
はゞからず
神勅を
述るに其真
を以す遂に
いかんともする事
あたはず易曰
王臣塞々たりとは
將に是をいふか。
荊卿、匕首を懐にして
始皇帝にせまり、
狭穂姫一剱をかくして、
垂仁帝を驚かす。
みな事なる
こと能はず、
ひとりあやしむ
直駒の
崇
峻
帝
を
弑
する
事
を
これ
鄭伯
の母の
如き
あつて、
内より
是を
啓に
あら
ざらん
には、
區々の小臣
なんぞ
こゝに
およばん。
かの乙人の如き
兵器を携て
宮に入。また
何をかせんや。
土佐日記曰、廿日夜の月
出でにけり云々。むかし
安倍の仲麿といひ
ける人、もろこしにわ
たりてかへりきける
時に、舟にのるべき
ところにてかの国人
馬のはなむけし、
わかれを
をしみて、
かしこの
から哥
作りなど
しける。
あかずや
ありけん、
廿日の夜月
いづるまでぞ
ありける云々。
あをうな原
ふりさけ云々。
かの国人きゝ
知るまじく
おぼえたれど、
ことのこゝろ
を
をとこもじに、
さまを書出
して、こゝの
ことばつたへ
たる人に、いひ
しらせければ、
心をや聞え
たりけん、いと
おもひのほかに
なんめでける。
云々。
唐書地理志曰
明州属江南
道開元二十六
年置以境有
四明山為名云々
遣唐使は、推古帝十
五年、はじめて大禮
蘇我妹子を
使として、信を
隋に通ぜしより、
後暫國史に載
たり。そが中に
仲麿は唐の玄宗の
時にして、萬朝
こと/"\く文苑
の中に立て、終に
右をゆづる事なく、
三笠山の一章
天地みな振動す。
かの四方に使して
君の命を辱
しめざるものか。
後帰朝の折に
海上○風に逢て、
安南國に漂流し、
再び唐朝の賓
となり、彼地に
卒す。
武備志曰
安南ハ唐◎時南交也
秦為象郡ト漢ノ初ハ南越
逍陀、據之武帝平南越
置ク交趾九真日南三郡ヲ
光武帝時、女子徴、側徴貮
反ス。馬援討テ平グ之。建安
中改テ為シ交州ト置ク牧ヲ。唐置ク
都護府ヲ。改為ス安南ト云々
※○は風へんに貝
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