五條三位入道談云
そのかみ年廿五なりし時、基俊の弟子にならんとて、和泉の前司入道道經を媒にて、彼の人と車に相乗りて、基俊の家に向ひたる事ありき。彼の人、その時八十五也。其夜八月十五夜にてさへ有りしかば、亭主もことに興に入りて、哥の上句を云ふ。
中の秋十日五日の月を見て
とや/\しくながめ出られしかば、是を付く。
君が宿にて君と明かさん
と付けたるを、何の珍し氣もなきに、いみじう感ぜられき。さてのどかに物語りして、
久しく籠り居て、今の世の人の有樣などもえ知りたまへず。此此誰をか物知りたる人はつかうまつりたるぞ
と問はれしかば、
九條大納言(伊通大臣)、中院大臣(雅定)などをこそは、心にくき人とは思ひて侍れ
と申ししかば
あないとおし
とて、膝を叩きて扇をなん高く使はれたりし。
かやうに師弟の契をば申したりしかど、よみ口に至りては、俊頼には及ぶべくもあらず。俊頼いとやむごとなき人なり
とぞ。
○五條三位入道
藤原俊成(1114~1204年)法号は釈阿。千載和歌集の撰者で定家の父。
○基俊
藤原基俊(1060~1142年)万葉集を研究し、訓点をつけた。
○九條大納言
藤原伊通(寛治7年(1093~1165年)
○中院大臣
源雅定(1094年~1162年)源雅実の子。
○俊頼
源俊頼朝臣(1055~1129年)経信の子。金葉和歌集の撰者。