新古今和歌集の部屋

切入歌の推定 明月記五月四日慈円歌1


1 はじめに
 新古今和歌集は、元久二年三月二十六日に竟宴を行い、完成を披露した所で有るが、その時には、九条良経の仮名序も完成しておらず、又数日後には、これを削れ、これを入れろと後鳥羽院からの指示が撰者に勅命された。所謂切出歌、切入歌である。この様子については、撰者の藤原定家の日記である明月記に掲載されている。
 明月記の元久二年五月四日の記事に「又大僧正御歌一首、可書入新古今之由、有仰事。仍入之。」と有り、この日慈円の歌が切り入れられた事が分かる。
 新古今和歌集の写本には、歌を撰んだ撰者名が注記されているものが有る。これは、竟宴前に五人の撰者が撰んだもので有る事から、竟宴後に後鳥羽院が切入を勅した歌には誤記を除いてその記載が無い。
 それぞれの歌の詞書と撰者名注記などから、この切り入れられた歌について推定してみる。
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