善導和尚見佛事
唐の善導和尚は道綽の御弟子也。然あれど其師
にも越て定の中に阿弥陀を見たてまつり、覚束な
き事を問たてまつり證を得給へり。師の道綽善導
にあつらへて云我朝夕往生極樂を願事は叶なむや
此極てをぼつかなし。佛に問たてまつりてきかせ給へ
との給ひければ、忽に定に入て此事を問たてまつる。佛
のの給はく木を切には斧をくだす。家にかへるには苦の辞
する事なしとの給ふ。此二の事を聞て道綽に語り
給ひけりとなむ。かく云へる意は木を切るにはいかに大なる
木といへども、たゆみなく是を切れば終にとして切たをさ
ずと云事なし。怠て切やすむべからず。家に歸には又くるし
とて中にとゞまる事なかれ、はふ/\も必行付べし。志深し
て怠らずば、疑あらざる由を教給へるなり。此事道綽に限
べからず。もろ/\の行者をなじかるべし。
發心集二巻終
※善導 唐の浄土教の高僧。(613-681年)。我が国の浄土教に多大な影響を及ぼした。
※道綽 唐の浄土教の高僧。(562-645年)。