新古今和歌集の部屋

長明発心集 第二 橘大夫発願往生の事

 

 

 

 

 

 

 

 

橘大夫發願往生事

中比常磐橘大夫守助と云者ありけり。年八十二

あまりて佛法を知らず。斎日と云へども精進せず。法師

を見れども貴む心なし。若教進る人あれば返て是を

あざむく。すべて愚痴極れる人とぞ見ける。而を伊豫國

に知所ありて下ける。比は永長の秋異なる病もなくて

臨終正念にして往生せり。須磨方より紫の雲あら

はれて馨香充満て目出度瑞相あらたなりける。是を見

る人あやしむで其妻に何なる勤をかせしと問。妻が云く

心本より邪見にて功德つくる事なし。但をとしの六月

より夕ことに不浄をかへりみず。衣服をとゝのへず西に向

て一枚ばかりなる文を讀て掌を合せてをがむ事こそ

有しがと云。其文を尋ね出て見るに、發願の文あり。其

詞に云く。弟子敬て西方極樂化主阿弥陀如來

觀音勢至諸の聖衆を驚て申す。我受がたき人身

を受て適佛法に遇と云へども、心本より愚痴にして

更に勤行事なし。徒に明し暮して空く三途に歸なし

とす。然るを阿弥陀如來我と縁深くをはしますに依

て濁れる末の世の衆生を救はんがため、大願を發し

給へる事ありき。其趣を尋ぬれば設四重五逆を作

れる人なりとも命終らん時我國に生れんと願ひ

南無阿弥陀佛と十度申さば必ず向へむと誓給へり。

今此本願を憑むが故に、今日より後命を限にて

夕ごとに西に向ひて寶号をとなふ。願は今夜まどろ

める中にも命盡なん事あらば、此を終の十念として

本願あやまたず極樂へ向へ給へ。設ひ残の命あつてこ

よひ過たりとも、終り願の如くならずして弥陀を唱へず

は日比の念佛を以て終の十念とせむ。我罪重と

いへどもいまだ五逆を作らず。功德少しといへども深く

極樂を願ふ。則本願にそむく事なし。必ず引接し給へ

と書り。是を見る人涙を落して貴びけり。其後あ

まねく此文をかきとりて信じ行ひて證を見たる

人多かりけり。

又有聖人加樣に發願の文を讀事はなけれども、夜

まどろめる外には、時のかはるごとに㝡後の思ひを成

て十念を唱へつゝ此ばかりを行として往生をとげた

りとなむ。勤むる處は少けれども、常に無常を思て往

生を心にかけむ事要か中要也。若人心にわすれず極樂

を思へば、命をはる時必ず生ず。たとへば樹のまがれる方へ

たふるゝが如しなむと云へり。

 

※常盤橘大夫守助 不詳。右京区の常盤に住居していたと思われる。

※永長 1096~7年。堀河天皇御代。 

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