助重依一聲念佛往生事
承久の比前瀧口助重と云物ありけり。近江國蒲
生の郡の人也。盗人にあひて射ころされける間に其
箭の背にあたる時聲をあげて南無阿弥陀佛とたゝ
一聲申て死しぬ。其聲髙となりの里に聞けり。人來て
是を見ければ、西に向て居ながら眼をとぢてなむ有
けり。時に入道寂因と云者ありけり。助重が相知
る者なれど家近からねば此事を知ず。其夜の夢に
見る樣廣野を行に傍に死人あり。僧多く集て云
こゝに往生人あり。汝此を見るべしと云行て見れば助
重也けれと見て夢さめぬ。あやしと思ほどに朝に助重が
つかふ童來て此由をつげゝり。又或僧近江國を修
行しけり。夢の内に人つぐる樣今往生人あり。行て
縁をむすぶべしと云。其所助重が家也けり。月日又たが
わず有けり。彼僧正の年來の行德助重が一聲の
念佛の外の事なれど、彼は悪道に留り。此は浄土に
生る。爰知ぬ凡夫の愚とる心にて人の德程計り
難き事也。
※承久の比 永久の比の誤字。
※前瀧口助重 伝不詳。元滝口の武士。
※寂因 俗姓大江。久安六年(1150)没。老年で出家し、三十年門外不出で念佛修行した。
※彼僧正 鳥羽の僧正覚猷。園城寺長吏、天台座主など。鳥獣戯画の作者に擬せられるなど、絵画に堪能だった。