国宝 俵屋宗達 《源氏物語関屋澪標図屛風》澪標図 江戸時代・寛永8年(1631)
たまふへきこゝろをくわんもんにつく
らせたまへり。さてはあみた經の
からのかみはもろからんあさゆふに御
てならしにもいかゝとてかんやのひ
と召してことにおほせことたま
ひて心ことにきよらにすかせた
まへるにこのはるのころをひより
御こゝろとゝめていそきかゝせ給へ
るかゐありてはしをみたまふ人
なとめもかゝやきまとひたまふ。けか
けたるかねのすちよりもすみつき
のうゑにかゝやくさまなともいとなん
めつらかなりける。ちくへうしはこ
のさまなといへはさらなりかし。
け
これはことにちんの花そくのつくゑ
にすゑてほとけのをなしちやうたい
のうゑにかさられたまへり。たうかさり
香
はてゝかうしまうのほり行道の
ひと/\まいりつとひたまへは院もあ
なたにいてに○給とてみやのをはし
ますにしのひさしにのそき給へ
れはせはき心ちするかリの御しつ
られにところせくあつけなるまて
こと/\しくさうそきたる女はう
五六十人はかりつとひたり。きたの
ひさしすのこまてわらはへなとはさ
まよふ。ひとりともあまたしてけふ
たきまてあふきちらせはさしより
給てそらにたくはいつくのけふりそと
わかぬこそよけれ。ふしのみ
給ふべき心を願文に作らせ給へり。さては阿弥陀経の唐の紙は、脆から
ん、朝夕に御手慣しにも如何とて紙屋(かんや)の人召して、殊に仰せ
言給ひて、心殊に清らに漉かせ給へるに、この春の頃をひより、御心留
めて急ぎ書かせ給へる甲斐有りて、端を見給ふ人など、目も輝き惑ひ給
ふ。罫かけたる金の筋よりも、墨付きすみつきの上に輝く樣なども、い
となん珍らかなりける。軸表紙筥の樣など、いへば更なりかし。これは、
殊に沈の花足(けそく)の机に据ゑて、仏の同じ帳台の上に飾られ給へ
り。
堂飾り果てて、講師まうのほり、行道(香)の人々參り集ひ給へば、院
もあなたに出でに給ふとて、宮の御座します西の廂に覗き給へれば、狭
ばき心地する仮の御しつられに、所狭(せ)く暑げなるまで、ことこと
しく装束(さうそ)着るたる女房五六十人ばかり集ひたり。北の廂、簀
の子まで童女などは彷徨ふ。火取り共数多して、煙(けぶ)たきまで仰
ぎ散らせば、さし寄り給ひて、「空に焚くは、いづくの煙ぞと分かぬこ
そよけれ。富士の峰
中山輔親氏蔵本源氏物語 鈴蟲