早蕨
阿闍梨 君にとて数多の春を摘みしかば常を忘れぬ初蕨なり
きみにとてあまたのはるをつみしかはつねをわすれぬはつわらひなり
中君 この春は誰にか見せむ亡き人の形見に摘める峰の早蕨
このはるはたれにかみせむなきひとのかたみにつめるみねのさわらひ
匂宮 折る人の心に通ふ花なれや色には出でず下に匂へる
をるひとのこころにかよふはななれやいろにはいてすしたににほへる
薫 見る人に託言寄せける花の枝を心してこそ折るべかりけれ
みるひとにかことよせけるはなのえをこころしてこそをるへかりけれ
薫 儚しや霞の衣裁ちし間に花の紐解く折も来にけり
はかなしやかすみのころもたちしまにはなのひもとくをりもきにけり
中君 見る人も嵐に迷ふ山里に昔覚ゆる花の香ぞする
みるひともあらしにまよふやまさとにむかしおほゆるはなのかそする
薫 袖触れし梅は変はらぬ匂ひにて根込め移ろふ宿や異なる
そてふれしうめはかはらぬにほひにてねこめうつろふやとやことなる
弁尼 先立つに涙の川に身を投げば人に遅れぬ命ならまし
さきにたつなみたのかはにみをなけはひとにおくれぬいのちならまし
薫 身を投げむ涙の川に沈みても恋しき瀬々に忘れしもせじ
みをなけむなみたのかはにしつみてもこひしきせせにわすれしもせし
弁尼 人は皆急ぎ発つめる袖の浦に一人藻塩を垂るる海女かな
ひとはみないそきたつめるそてのうらにひとりもしほをたるるあまかな
中君 塩垂るる海女の衣に異なれや浮きたる波に濡るる我が袖
しほたるるあまのころもにことなれやうきたるなみにぬるるわかそて
中君大輔の君 有り経れば嬉しき瀬にも逢ひけるを身を宇治川に投げてましかば
ありふれはうれしきせにもあひけるをみをうちかはになけてましかは
中君女房 過ぎにしか恋しきことも忘れねど今日はた先づも行く心かな
すきにしかこひしきこともわすれねとけふはたまつもゆくこころかな
中君 眺むれば山より出でて行く月も世に住み詫びて山にこそ入れ
なかむるれはやまよりいててゆくつきもよにすみわひてやまにこそいれ
薫 級照るや鳰の湖に漕ぐ舟の真面ならねども逢ひ見し物を
しなてるやにほのみつうみにこくふねのまほならねともあひみしものを
宿木
薫 世の常の垣根に匂ふ花ならば心のままに折りてみましを
よのつねのかきねににほふはなならはこころのままにをりてみましを
今上帝 霜に逢へず枯れにし園の菊なれど残りの色は褪せずも有るかな
しもにあへすかれにしそののきくなれとのこりのいろはあせすもあるかな
薫 今朝の間の色にや愛でむ置く露の消えぬに掛かる花と見る見る
けさのまのいろにやめてむおくつゆのきえぬにかかるはなとみるみる
薫 よそへてぞ見るべかりける白露の契りか置きし朝顔の花
よそへてそみるへかりけるしらつゆのちきりかおきしあさかほのはな
中君 消えぬ間に枯れぬる花の儚さに遅るる露はなほぞ優れる
きえぬまにかれぬるはなのはかなさにおくるるつゆはなほそまされる
夕霧 大空の月だに宿る我が宿に待つ宵過ぎて見えぬ君かな
おほそらのつきたにやとるわかやとにまつよひすきてみえぬきみかな
中君 山里の松の蔭にもかくばかり身に沁む秋の風は無かりき
やまさとのまつのかけにもかくはかりみにしむあきのかせはなかりき
落葉宮 女郎花萎れぞ勝る朝露の如何に置きける名残なるらむ
をみなへししをれそまさるあさつゆのいかにおきけるなこりなるらむ
中君 大方に聞かましものを蜩の声恨めしき秋の暮れかな
おほかたにきかましものをひくらしのこゑうらめしきあきのくれかな
按察君 打ち渡し世に許し無き関川を見馴れ染めけむ名こそ惜しけれ
うちわたしよにゆるしなきせきかはをみなれそめけむなこそをしけれ
薫 深からず上は見ゆれど関河の下の通ひは絶ゆるものかは
ふかからすうへはみゆれとせきかはのしたのかよひはたゆるものかは
薫 徒に分けつる道の露茂み昔覚ゆる秋の空かな
いたつらにわけつるみちのつゆしけみむかしおほゆるあきのそらかな
匂宮 又人に馴れける袖の移り香を我が身に染めて恨みつるかな
またひとになれけるそてのうつりかをわかみにしめてうらみつるかな
中君 見馴れぬる中の衣と頼みしをかばかりにてやかけ離れけむ
みなれぬるなかのころもとたのみしをかはかりにてやかけはなれけむ
薫 結びける契り殊なる下紐をただ一筋に恨みやはする
むすひけるちきりことなるしたひもをたたひとすちにうらみやはする
薫 宿木と思ひ出でずは木の下の旅寝も如何に寂しからまし
やとりきとおもひいてすはこのもとのたひねもいかにさひしからまし
弁尼 荒れ果つる朽ち木の下を宿木と思ひ置きける程の悲しさ
あれはつるくちきのもとをやとりきとおもひおきけるほとのかなしさ
匂宮 穂に出でぬ物思ふらし篠薄招く袂の露繁くして
ほにいてぬものおもふらししのすすきまねくたもとのつゆしけくして
中君 秋果つる野辺の気色も篠薄仄めく風に付けてこそ知れ
あきはつるのへのけしきもしのすすきほのめくかせにつけてこそしれ
薫 天皇の挿頭に折ると藤の花及ばぬ枝に袖掛けてけり
すめらきのかさしにをるとふちのはなおよはぬえたにそてかけてけり
今上帝 万代をかけて匂はむ花なれば今日をも飽かぬ色とこそ見れ
よろつよをかけてにほはむはななれはけふをもあかぬいろとこそみれ
公達 君が為折れる挿頭は紫の雲に劣らぬ花の気色か
きみかためをれるかさしはむらさきのくもにおとらぬはなのけしきか
公達 世の常の色とも見えず雲居まで立ち上りたる藤波の花
よのつねのいろともみえすくもゐまてたちのほりたるふちなみのはな
薫 顔鳥の声も聞きしに通ふやと茂みを分けて今日ぞ尋ぬる
かほとりのこゑもききしにかよふやとしけみをわけてけふそたつぬる
東屋
薫 見し人の形代ならば身に添へて恋しき瀬々の撫物にせむ
みしひとのかたしろならはみにそへてこひしきせせのなてものにせむ
中君 御祓川瀬々に出ださむ撫物を身に添ふ影と誰か頼まむ
みそきかはせせにいたさむなてものをみにそふかけとたれかたのまむ
常陸北方 締め結ひし小萩が上も迷はぬにいかなる露をわかすぞあらまし
しめゆひしこはきかうへもまよはぬにいかなるつゆにうつるしたはそ
左近少将 宮城野の小萩がもとに知らませば露も心をわかすぞあらまし
みやきののこはきかもとにしらませはつゆもこころをわかすそあらまし
浮舟 ひたぶるに嬉しからまし世の中にあらぬ所と思はましかば
ひたふるにうれしからましよのなかにあらぬところとおもはましかは
中将君 憂き世には在らぬ所を求めても君が盛りを見る由もがな
うきよにはあらぬところをもとめてもきみかさかりをみるよしもかな
薫 絶え果てぬ清水になどか亡き人の面影をだに留めざりけむ
たえはてぬしみつになとかなきひとのおもかけをたにととめさりけむ
薫 差し止むる葎や繁き東屋の余り程降る雨注ぎかな
さしとむるむくらやしけきあつまやのあまりほとふるあまそそきかな
薫 形見ぞと見るに付けては朝露の所せきまで濡るる袖かな
かたみそとみるにつけてはあさつゆのところせきまてぬるるそてかな
弁尼 宿木は色変はりぬる秋なれど昔覚えてすめる月かな
やとりきはいろかはりぬるあきなれとむかしおほえてすめるつきかな
薫 里の名も昔ながらに見し人の面変はりせる寝屋の月影
さとのなもむかしなからにみしひとのおもかはりせるねやのつきかけ
浮舟 未だ古りぬ物には有れど君が為深き心に待つと知らなむ
またふりぬものにはあれときみかためふかきこころにまつとしらなむ