源氏物語 御法
年ごろ、私の御願にて書かせ奉り給ひける法華経千部、急ぎて供養じ給ふ。 我が御殿と思す二條院にてぞし給ひける。 七僧の法服など、品々賜はす。物の色、縫ひ目よりはじめて、清らなる事、限り無し。大方何事も、いと厳めしきわざ共をせられたり。
(中略)
三月の十日なれば、花盛りにて、空の景色なども、麗らかに物おもしろく、佛のおはすなる所の有樣、遠からず思ひやられて、ことなり。深き心もなき人さへ、罪を失ひつべし。薪こる讃嘆の声も、そこら集ひたる響き、おどろ/"\しきを、うち休みて 静まりたるほどだにあはれに思さるゝを、まして、この比となりては、何ごとにつけても、心細くのみ思し知る。明石の御方に、三の宮して、聞こえ給へる。
惜しからぬこの身ながらも限りとて薪尽きなむことの悲しさ
御返り心細き筋は後の聞こえも心後れたるわざにやそこはかとなくぞあめる
薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法ぞはるけき
明石中宮へ匂兵部卿宮を介してつかはしける
紫の上
惜しからぬこの身ながらも限りとて薪尽きなむことの悲しさ
よみ:をしからぬこのみながらもかぎりとてたきぎつきなむことのかなしさ
意味:惜しくも無い私の身ではございますが、今を最後として命が尽きようとしている事が悲しうございます
備考:
本歌 法華経を我が得しことは薪こり菜つみ水汲み仕へてぞ得し」(拾遺集哀傷歌 大僧正行基)
「この身」に「菓(このみ)」を掛け、法華経の提婆達多品、序品の経文を暗示する。
御かへし
明石中宮
薪こる思ひは今日を初めにてこの世に願ふ法ぞはるけき
意味:法華経の仏法を修行する薪の行道の儀式を今日初めて終えられ、今生で悟りを得る為の貴女様の寿命は末長い事でありましょう。
備考:
※薪こる讚嘆の声 薪の行道と呼ばれる儀式で、拾遺集行基菩薩の歌を歌いながら、捧げ物や薪を背負ったり、水桶を担いだりする。
紫の上
僧 花散里?
僧 僧
僧
(正保三年(1647年) - 宝永七年(1710年))
江戸時代初期から中期にかけて活躍した土佐派の絵師。官位は従五位下・形部権大輔。
土佐派を再興した土佐光起の長男として京都に生まれる。幼名は藤満丸。父から絵の手ほどきを受ける。延宝九年(1681年)に跡を継いで絵所預となり、正六位下・左近将監に叙任される。禁裏への御月扇の調進が三代に渡って途絶していたが、元禄五年(1692年)東山天皇の代に復活し毎月宮中へ扇を献ずるなど、内裏と仙洞御所の絵事御用を務めた。元禄九年(1696年)五月に従五位下、翌月に形部権大輔に叙任された後、息子・土佐光祐(光高)に絵所預を譲り、出家して常山と号したという。弟に、同じく土佐派の土佐光親がいる。
画風は父・光起に似ており、光起の作り上げた土佐派様式を形式的に整理を進めている。『古画備考』では「光起と甲乙なき程」と評された。
御法27.5cm×44.5cm
令和5年11月15日 伍/肆