おおかた歌の姿は面の如くにして一樣ならず。悉くのするにいとまあらず。但し近き世の上手の中に其の趣をしるし、或ひは哥をも少々書きのすべし。
大納言經信、殊にたけもあり、うるはしくして、しかも心たくみに見ゆ。
又俊頼堪能の者なり。哥の姿二樣によめり。うるはしくやさしき樣も殊に多く見ゆ。又もみ/\と、人はえ詠みおほせぬやうなる姿もあり。この一樣、すなはち定家卿が庶幾する姿なり。
うかりける人をはつせの山おろしよはげしかれとは祈らぬ物を
(千載集 源俊頼)
この姿なり。又、
鶉鳴く眞野の入江の濱風に尾花なみよる秋の夕暮
(金葉集 源俊頼)
うるはしき姿なり。故土御門内府亭にて影供ありし時、釋阿は、これ程の哥たやすくいできがたしと申しき。道を執したることも深かりき。難き結題を人の詠ませけるには、家中の物にその題を詠ませて、よき風情をのづからあれば、それを才學にてよくひき直して、多く秀哥ども詠みたりけり。
○大納言経信
源経信(1016~1097年)帥大納言、桂大納言、源都督と称された。詞、歌、管弦に優れた。
○俊頼
源俊頼(1055~1129年)経信の子。金葉和歌集の撰者。
○定家卿
藤原定家朝臣(1162~1241年)ていかとも読む藤原俊成の子京極中納言とも呼ばれ新古今和歌集新勅撰和歌集の選者小倉百人一首の撰者古典の書写校訂にも力を注いだ。
○土御門内府
源通親(1149~1202年)雅通の子。養女在子を後鳥羽天皇に入内させ、土御門天皇となり、後鳥羽院政の中権力を握る。
○釈阿
藤原俊成(1114~1204年)しゅんぜいとも。法号は釈阿。千載和歌集の撰者で定家の父。
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