新古今和歌集の部屋

軒端の梅 吉田経房 吉田亭蹟の推定

花洛名勝図会

神楽岡 俗に吉田山といふ。黒谷の北西にありたり。
卜部家齋場所 右同所にあり。元京師近衛室町の私邸に在し、古又は

智福院 齋場所樓門の東南にあり、法輪山と号す。
新長谷寺 同所の西にある堂。
吉田 神楽岡の西といふ所の町。
吉田家 吉田山神楽岡西の麓の南にあり。
萩原家 新長谷寺の西にあり。
神龍院 同所の南あり。
吉田神社 右同所の北にあり。神楽岡の中央西の麓。

吉田大納言経房卿亭址 宣胤卿記云、神楽岡西麓、神龍院門前旧跡云々。

以上の事から、吉田経房卿旧跡は、京都大学工学部付近と考えられる。

コメント一覧

jikan314
御来室有難う御座います
sakura様
御来室有難う御座います。
「魂の尾よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることの弱りもぞする」で有名な式子内親王墓を推計するのに、かつて住んだ場所を特定して、その位置関係を歩いてみているところの記録です。法住寺萱御所も。
京都地方裁判所(竹屋町通富小路)に大炊御門殿が有り、後白河院の遺領として相続したのですが、間借りしていた九条兼実が居座り、やむなく後見人である吉田経房の吉田別邸に移り住んだところです。
経緯の明月記(藤原定家)、玉葉(兼実)、吉記をブログに記録しているところです。ノートでは、何処に書いたのか忘れてしまいますので。
式子内親王は、平家物語に都落ちで登場するのですが、どの本だったか記録するのを忘れてしまい、今、長門本、延慶本など探しているところです。
又貴ブログを携帯しながらそぞろ歩き致します。
sakura
こんにちは!
http://blog.goo.ne.jp/mitsue172
吉田経房邸のご紹介ありがとうございました。

源平史跡をご紹介する際に私が参考にしている書籍の中には、
当時の貴族の日記がよく引用されています。「吉記」はそのひとつです。

吉田神社は現在の京都大学の敷地内(時計台、グラウンドだったか忘れましたが)にあったと
昔、聞いたことがあります。やはりそうだったのですね。
若い頃、神楽岡町の軒端の梅の近くに住んでいたことがあり、
吉田山周辺はよく散策しました。

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