源平盛衰記
巻第四 京中焼失事
四月廿八日亥刻に、樋口、富小路より燒亡あり。是は…略…燒にけり。折節巽の風はげしく吹て、乾を指て燃ひろごる。融大臣鹽竈や川原院より燒そめて、名所卅餘箇所公卿家十七箇所燒にけり。染殿と申すは忠仁公の家也。正親町京極小一條殿と申は、貞仁公の家とかや。近衞東洞院染殿の南には、和院、小二條、款冬殿と申は、二條東洞院也三條宮の御子、左の小藏宮とぞ申ける。照宣公の堀河殿、大炊御門、冷泉院、中御門の高陽院、寛平法皇の亭子院、永頼三位の山井殿、鷹司殿、大炊殿、押小路町の鴨井殿、六條院、小松殿、公任大納言の四條殿、良相公の西三條、高明御子の西宮、三條朱雀に、朱雀院、神泉苑、勧学院、奨学院、穀倉院、東三條近衞院、滋野井本院、小野宮、冬嗣大臣の閑院殿、北野天神紅梅殿、梅苑、桃苑、高松殿、中務の宮の千種殿、枇杷殿、一院京極殿、天の橋立に至まで、一宇も殘らず燒にけり。まして其外家々は數を知ず、はては大内に吹付たりければ、朱雀門、應天門、會昌門、陽明、待賢、郁芳門、涼、紫宸、大極殿、豊樂院、天透垣、龍の小路、殿上の小庭、延喜の荒海、見參の立板、動の橋、諸司八省までも、皆燒亡ぬ。淺と云も疎也。大炊御門堀川に…略…。
最新の画像もっと見る
最近の「平家物語」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事