薄雲
姫君は、何心もなく、御車に乗らむことを急ぎ給ふ。寄せたる所に、母君みづから抱きて出で給へり。片言の、声はいとうつくしうて、袖をとらへて、「乗りたまへ」と引くも、いみじう覚えて、
すゑとほき双葉の松に引き別れ
いつか木高きかげを見るべき
朝顔
心やましくて立ち出で給ひぬるは、まして、寝覚がちに思し続けらる。とく御格子参らせたまひて、朝霧を眺め給ふ。枯れたる花どもの中に、朝顔のこれかれにはひまつはれて、あるかなきかに咲きて、匂ひもことに変はれるを、折らせたまひて奉れ給ふ。
「けざやかなりし御もてなしに、人悪ろき心地し侍りて、うしろでもいとゞいかゞ御覧じけむと、ねたく。されど、
見し折のつゆ忘られぬ朝顔の
花の盛りは過ぎやしぬらむ
年ごろの積もりも、哀とばかりは、さりとも、思し知るらむやとなむ、かつは」など聞え給へり。おとなびたる御文の心ばへに、「おぼつかなからむも、見知らぬやうにや」と思し、人びとも御硯取りまかなひて、聞ゆれば、
秋はてゝ霧の籬にむすぼほれ
あるかなきかにうつる朝顔
「似つかはしき、御よそへにつけても、露けく」
乙女
長月になれば、紅葉むら/\色づきて、宮の御前、えも言はずおもしろし。風打吹きたる夕暮に、御箱の蓋に、色々の花紅葉をこき混ぜて、 こなたに奉らせ給へり。大きやかなる童女の、濃き衵、紫苑の織物重ねて、赤朽葉の羅の汗衫、いといたうなれて、廊、渡殿の反橋を渡りて参る。うるはしき儀式なれど、童女のをかしきをなむ、え思し捨てざりける。さる所にさぶらひなれたれば、もてなし、有樣、他のには似ず、このましうをかし。御消息には、
心から春まつ園はわが宿の
紅葉を風のつてにだに見よ
若き人々、御使もてはやす さまどもをかし。御返りは、この御箱の蓋に苔敷き、巌などの心ばへして、五葉の枝に、
風に散る紅葉は軽し春の色を
岩根の松にかけてこそ見め
この岩根の松も、こまかに見れば、えならぬ作りごとどもなりけり。とりあへず思ひ寄り給ひつるゆゑ/\しさなどを、をかしく御覧ず。
源氏物語図屏風 右雙第五扇
宮内庁三の丸尚蔵館
旧桂宮家伝来
狩野探幽画
元は八条宮家(桂宮)所有で、寛永十九年に、八条宮智忠親王の元へ嫁いだ加賀藩主前田利常女、富姫の嫁入り道具として制作。桂宮家から寄贈され、御物となった。
令和2年11月17日 點四/八枚