新古今和歌集の部屋

こぼれてにほふ 幽霊の好きな歌

こんな話がある。

昔、京の都で、上東門院様が京極殿に住いになられていた時、ある年の三月の二十日余りの頃、花の盛で、寝殿南面の桜が、えもいはず咲き乱れていて、女院様は、寝殿にて桜を御覧になられていたところ、南面の庇の間の辺りから、大変気高く、神々しい声で、
「こぼれてにほふ花桜かな」
と突然、歌を読み上げて、その声を女院様がお聞きになられ、
「これはいかなる人がいるのでしょうか」と思い召されて、御障子が上げられていたので、御簾の内より御覧になられたが、何処にも人の気配も無かったので、「これはどうした事だろう?誰が言ったのだろうか」と言うので、多くの人を召して探させなさいましたが、
「近くにも遠くにも人はおりません」と申し上げると、その時に大変驚かれて、
「これはどうしたことか?鬼神などが詠じたことか?」と、大変恐がれなさって、弟の関白頼通様は高陽院におられましたが、急いで、
「このようなございました。何故でしょうか?」とお問い合わせになられた所、関白様は、陰陽師に占わせ、御返事に、
「それはそこの癖でして、常にその様に詠めるのです」との御回答がございました。
されば、女院様はいよいよ恐怖に思いなされて、
「これは、人間が花を見て感激のあまり、このように詠めたのを、かく厳しく尋ねさせたので、おそれて逃げ去ったのだろうと思っていたのに、この京極殿の癖であるならば、とても恐ろしいことです」とこのように仰せられました。
それで、その後はいよいよ恐れられてて、その近くにもお立ち寄りになさらなくなった。
これを思うに、これは狐などが言ったという事にではあるまい。物の霊などの、この歌を素晴らしい歌だ!と思っていて、花を見る度に、いつもこのように詠じたのでは無いかと人々は想像したのだった。
このような物の霊などは、夜など現れるものだろう。真っ昼間に大声を挙げて詠んだとすれば、まことに怖るべき事ではある。
いかなる霊ということ、遂に判らずじまいで話は止めになったとこう語り伝えたそうだ。

京都御苑

今昔物語集 巻第二十七 
京極殿に於いて古歌を詠むる声ありし語第二十八
今は昔、上東門院の京極殿に住ませ給ひける時、三月の二十日余りのころ、花の盛りにて、南面の桜、えもいはず咲き乱れたりけるに、院、寝殿にて聞かせ給ひければ、南面の日隠しの間の程に、いみじく気高く神さびたる声を以て、
「こぼれてにほふ花桜かな。」
と詠めければ、其の声を院聞かせ給ひて、こはいかなる人のあるぞと思し召して、御障子の上げられたりければ、御簾の内より御覧じけるに、何にも人の気色(けしき)もなかりければ、「こはいかに。誰(た)が云ひつるぞ。」とて、あまたの人を召して見せさせ給ひけるに、「近くも遠くも人候はず。」と申しければ、其の時に驚かせ給ひて、「こはいかに。鬼神などの云ひける事か。」とおぢおそれさせ給ひて、関白殿は□□殿におはしましけるに、急ぎて、「かかる事こそ候ひつれ。」と申させ給ひければ、殿の御返事に、「それは其の□□にて、常にさやうに詠め候ふなり。」とぞ御返事ありける。
されば、院いよいよおぢさせ給ひて、「これは、人の花を見て興じてさやうに詠めたりけるを、かくきびしく尋ねさすれば、おそれて逃げいぬるにこそあるめれとこそ思ひつるに、此のOにてありければ、いみじくおそろしきことなり。」となむ仰せられける。
然れば、其の後はいよいよおぢさせ給ひて、近くもおはさざりけり。
これを思ふに、これは狐などの云ひたる事にはあらじ。物の霊などの、此の歌をめでたき歌かなと思ひそめてけるが、花を見る毎に、常にかく詠めけるなめりとぞ人疑ひける。
さやうの物の霊などは、夜などこそ現ずる事にてあれ。真日中に声を挙げて詠めけむ、まことに怖ゆるべき事なりかし。
いかなる霊と云ふこと、遂に聞えで止みにけりとなむ語り伝へたるとや。

拾遺和歌集 巻第一春歌読み人知らずには
浅緑野辺の霞は包めどもこぼれてにほふ花桜かな
がある。
このような美しい桜を見てつい幽霊も歌を詠じたくなったのであろう?
この話は有名らしく、源俊頼が書いた俊頼髄脳にも記載されている。

貴方は、この話を信じますか?


千鳥ヶ淵
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