なる所に、もんがくばうのしゆく所の有けるに、まづそれにお
ちついて、わか君しばらくやすめ奉り、夜はんばかりに大
かくじへ入奉り、もんをたゝけ共、人なければおともせず、若
君のかひ給ひたりける。しろいぬの子の、ついぢのくづれより
はしり出て、をゝふつてむかひけるに、わか君母うへは、いづく
にましますぞと、宣ひけるこそいとをしけれ。斎藤五さい
藤六あんないはしりたり。ついぢをこへ門をあけて入奉る。
ちかう人のすんだる所共見えず。わか君人めもはぢず、命
のをしう候も、母うへを今一度、見づやと思ふため也。今はいき
ても何にかはせんとて、もだへとがれ給ひけり。其夜はそこ
にて侍りあかし、あけて後、きんりの人に尋れば、年の内
に、大仏まうでと聞こえさせ給ひしが、正月の程は、はせ寺
に御こもりとこそ、承はり候へと申給れば、さい藤六いそぎは
せへくだり、母うへに此よし申ければ、母うへ取物も取あへず、
いそぎ都へのぼり、大覚寺へぞおはしたる。母うへわか君を
只一め見給ひていかに六代御前、是は夢やうつゝか、はやく
出家し給へとの給へ共、もんがくをしみ奉て御出家をばせ
させ奉らず。すぐにたかをへ、むかへ取て、かすかなる所をし
つらひ、母うへをもはくみけるとぞ聞えし。くわんをんの
大じ大ひはつみ有をもつみなきをも、たすけ給ふ事な
れば、上代にはかゝるためしもや有らん。有がたかりし事共也。
平家物語巻第十二
七 泊瀬六代の事
七 泊瀬六代の事
なる所に、文覚房の宿所の有りけるに、先づそれに落ち着いて、若君暫く休め奉り、夜半ばかりに大覚寺へ入り奉り、門を叩けども、人無ければ音もせず、若君のかひ給ひたりける。白犬の子の、築地の崩れより走り出でて、尾を振つて迎ひけるに、若君、
「母上は、いづくにましますぞ」と、宣ひけるこそ愛をしけれ。斎藤五、斎藤六、案内走りたり。築地を越へ、門を開けて入り奉る。近う人の住んだる所ども見えず。若君人めもはぢず、命の惜しう候も、母上を今一度、見づやと思ふ為也。今は生きても何にかはせんとて、悶へとがれ給ひけり。その夜はそこにて侍り明かし、明けて後、近隣の人に尋れば、
「年の内に、大仏詣と聞こえさせ給ひしが、正月の程は、長谷寺に御籠りとこそ、承はり候へ」と申し給れば、斎藤六、急ぎ馳せへ下り、母上にこの由申しければ、母上取る物も取りあへず、急ぎ都へ上り、大覚寺へぞ御座したる。
母上、若君を、只一目見給ひて、
「如何に、六代御前。是は夢や現か、早く出家し給へ」と宣へども、文覚惜しみ奉て御出家をばせさせ奉らず。直ぐに高雄へ、迎へ取つて、微かなる所をしつらひ、母上をも育みけるとぞ聞えし。観音の大慈大悲は、罪有るをも罪無きをも、助け給ふ事なれば、上代にはかかる例もや有らん。有り難かりし事ども也。