正岡子規
貫之は下手な歌よみにて古今集はくだらぬ集に有之候。
【略】
古今集以後にては新古今稍々すぐれたりと相見え候。古今よりも善き歌を見かけ申候。併し其善き歌と申すも指折りて數へる程の事に有之候。定家といふ人は上手か下手か訳の分らぬ人にて新古今の撰定を見れば少しは訳の訳の分つて居るのかと思へば自分の歌にはろくな者無之「駒とめて袖うちはらふ」「見わたせば花も紅葉も」抔が人にもてはやさるゝ位の者に有之候。定家を狩野派の畫師に比すれば探幽と善く相似たるかと存候。定家に傑作無く探幽にも傑作無し。併し定家も探幽も相当に錬磨の力はありて如何なる場合にも可なりにやりこなし申候。両人の名誉は相如く程の位置に居りて定家以降歌の門閥を生じ探幽以降畫の門閥を生じ両家とも門閥を生じたる後は歌も畫も全く腐敗致候。いつの代如何なる技藝にても歌の格畫の格などといふやうな格がきまつたら最早進歩致す間敷候。
【以下略】
(明治三十一年二月十四日)
○定家
藤原定家朝臣(1162~1241年)ていかとも読む。藤原俊成の子。京極中納言とも呼ばれ新古今和歌集、新勅撰和歌集の選者。小倉百人一首の撰者。古典の書写校訂にも力を注いだ。
○探幽
狩野 探幽(1602年~1674年) 江戸時代の狩野派を代表する絵師である。狩野孝信の子で狩野永徳の孫にあたる。
○駒とめて袖うちはらふ
駒とめて袖うち拂ふかげもなし佐野のわたりの雪のゆふぐれ
(冬歌 671 藤原定家朝臣)
○見わたせば花も紅葉も
見わたせば花も紅葉もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ
(秋歌上 363 藤原定家朝臣)
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