新古今和歌集の部屋

歌論 四たび歌よみに与ふる書



               正岡子規
 拝啓。空論ばかりにては傍人に解し難く實例に就きて評せよとの御言葉御尤と存候。實例と申しても際限も無き事にていづれを取りて評すべきやらんと惑ひ候へども、成るべく名高き者より試み可申候。御思ひあたりの歌ども御知らせ被下度候。さて人丸の歌にかありけん、
  ものゝふの八十氏川の網代木にいざよふ波のゆくへ知らずも
(雑歌中 1648 柿本人麿 万葉集巻第三 264)
といふが屡々引きあひに出されるやうに存候。此歌万葉時代に流行せる一氣呵成の調にて少しも野卑なる處は無く、字句もしまり居り候へども全体の上より見れば上三句は贅物に屬し候。「足引の山鳥の尾の」といふ歌も前置の詞多けれど、あれは前置の詞長きために夜の長き樣を感ぜられ候。これは又上三句全く役に立ち不申候。此歌を名所の手本に引くは大たはけに御座候。総じて名所の歌といふは其の地の特色なくては叶はず、此歌の如く意味無き名所の歌は名所の歌になり不申候。併し此歌を後世の俗氣紛々たる歌に比ぶれば勝ること萬々に候。且つ此種の歌は真似すべきにあらねど、多き中に一首二首あるは面白く候。
 【以下略】
                        (明治三十一年二月二十一日)


○人丸
柿本人麻呂 平安時代は人丸とも。天武、持統、文武の万葉集の代表歌人。日並皇子、高市皇子の大舎人の説が有力。長歌挽歌に優れ後に歌聖と称えられた。
○足引の山鳥の尾の
足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾乃 長永夜乎 一鴨将宿
あしひきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜をひとりかも寝む

(万葉集 巻第十一 寄物陳思 2802 異伝歌 詠人不知 拾遺和歌集 恋三 778)
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