新古今和歌集の部屋

ドッペルゲンガーの乳母 今昔物語集

こんな話がある。

昔々、源雅通の中将と言う方がおられ、丹波の中将と呼ばれておったんじゃ。そのお屋敷は、四条よりは南、室町よりは西にあったのじゃ。
彼の中将がその家に住んでいた時に、二歳ばかりの稚児を乳母に抱かせて、南面と言う所でただ一人離れ居て子を遊ばせていたほどに、にわかに子が怯えて火が付いたように泣き出し、乳母の叫び声が聞こえたので、中将は北面にいたのだったが、これを聞いて、何事かと知らぬまま、太刀を引っ提げて走って行って見ると、同じ姿の乳母が二人居て、中に子供を置き、左右の手足を掴んで引っ張り合っていたんじゃ。
中将は、驚いてよくよく見たが、共に同じ乳母の姿、形であったんじゃ。どちらが本物の乳母か分からない。そこで、「一人はたぶん狐などに違いない。」と思って、太刀を閃かせて、走り掛かると、一人の乳母はかき消すように居なくなったんじゃ。
その時子供も乳母も気を失って倒れたので、中将は使用人どもを呼び、験力有る僧などを呼び寄せて加持祈祷などをしていたところ、乳母が気が付き、起き上がったんじゃ。中将は、
「いったい何があったのだ」と尋ねると、乳母が云うには、
「若君を遊ばせ申しておりますと、奥の方から見知らぬ女房が突然出て来て、『これは我が子供だ。』と言って、奪いとったので、奪われまいと引っ張ったところ、殿様がお出でになって、太刀を閃かせて走り掛らせなさいましたので、その時、若君を打ち捨てて、その女房は奥の方に逃げたのでございます。」と聞いて、中将は非常に恐ろしくなったんじゃ。

そう言うことで、人気の無い所では幼児を遊ばせてはならぬものだと言い合ったんじゃ。
狐が化かしたのであろうか、又物の怪だろうか、分からずじまいに終わったと、こう語り伝えているんじゃ。

雅通中将家在同形乳母二人語第廾九
今昔、源ノ雅通ノ中将ト云フ人有キ、丹波中将トナム云ヒシ。其ノ家ハ四条ヨリハ南、室町ヨリハ西也。彼ノ中将、其ノ家ニ住ケル時ニ、二歳許ノ児ヲ乳母抱テ南面也ケル所ニ、只獨リ離レ居テ児ヲ遊バセケル程ニ、俄ニ児ノ愕タヽシク泣ケルニ、乳母罵ル音ノシケレバ、中将ハ北面ニ居タリケルガ、此レヲ聞テ何事トモ不知ラデ、大刀ヲ提テ走リ行テ見ケレバ、同形ナル乳母二人ガ中ニ此ノ児ヲ置テ、左右ノ手足ヲ取テ引シロフ。中将、奇異ク思テ吉ク守レバ、共ニ同乳母ノ形ニテ有リ、何レカ實ノ乳母ナラムト云フ事ヲ不知ズ。然レバ、「一人ハ定メテ狐ナドニコソハ有ラメ」ト思テ、大刀ヲヒラメカシテ走リ懸ケル時ニ、一人ノ乳母掻消ツ樣ニ失ニケリ。其ノ時ニ、児モ乳母モ死タル樣ニテ臥シタリケレバ、中将、人共ヲ呼テ、験有ル僧ナド呼バセテ加持セサセナドシケレバ、暫許有テ乳母例心地ニ成テ起上タリケルニ、中将、「何ナリツル事ゾ」ト問ヒケレバ、乳母ノ云ク、「若君ヲ遊バカシ奉ツル程ニ、奥ノ方ヨリ不知ヌ女房ノ俄ニ出来テ、『此レハ我ガ子也』ト云テ、奪取ツレバ、不被奪ジト引シロヒツルニ、殿ノ御マシテ大刀ヲヒラメカシテ走リ懸ラセ給ヒツル時ニナム、若君モ打弃テ、其ノ女房奥樣ヘ罷ツル」ト云ケレバ、中将、極ク恐ケリ。然レバ、「人離レタラム所ニハ幼キ児共ヲバ遊バスマジキ事也」トナム人云ケル。狐ノ□タリケルニヤ、亦、物ノ霊ニヤ有ケム、知ル事無クテ止ニケリトナム語リ伝ヘタルトヤ。

西洋でもドッペルゲンガー現象と呼ばれ怪奇現象の一つに数えられる。平安時代の日本でも起こった記録として注目すべきかも知れない。

貴方はこの話を信じますか?
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