この時居たのは、良経(詩)、慈円(歌)、長兼(詩)、定家(歌)であり、良経が言ったので、決定権は慈円に有る。中将と言う低い身分の定家が決定する事はあり得ない。
又、この詩歌合への出詠に定家は「今度歌殊不得風情、定見苦歟」(五月十二日条)とこの題は得意とするものではなかった。
定家は、この選定に同意が出来た程度であろう。そして直ぐに歌人達に詩歌歌合の開催と題を送る役割を担ったに過ぎないと推察する。
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