津國妙法寺樂西聖人事
津國和田の奧に妙法寺と云山寺あり。彼に樂西と
云聖人住けり。本は出雲國の人也。我身いまだ男
なりける時人の田を作るとて、牛のたへがたげなるを打せ
めてかきすきけるを見て、かく有情をなやましつゝわり無
して作たてたる物を、作事なくて受用する事こそいみじ
ふ罪深けれと思けるより、心發てやがて出家したりけり。
其後居處もとむとて、國をあまねく見行けるに縁や有
けん、此處の心に付て覚へければ、こゝ住まむと思て、有僧
の庵に尋行たるに、主はあからさまに立出たるに、ほたと云
物を指合せて置たるを見て、此聖とかくも云はではい入
て木多くとりくべて、せなかあぶりして居たりける。主
帰きて云樣、何物なれば人のもとにきて案内もいはで
したりがほに火たきては居たるぞと云。けうのしわざやと
はらたてければ、我はいさゝか心を發して迷ありく修行
者也。なんぢもろともに佛の御弟子に非ずやあながち
にしるしられずと云べき事かは、風のをこりてなやましふ覚へけ
れば、此の火のあたり見すごしかたくて居たるぞかし。木い
くばくかはたきたる。惜く思はればこりて返し申さむ。又なを
此火にあてじとならばさるべし。慳貪なる火にはあたらで
こそはあらめ。安き事也罷出なむと云。主も聊か道心
ある者にて、事がらを心ゑず覚れば申すばかりぞ。いはるゝ處
も又理也。さらば静に居給へとて事の心を問。我心
ざしある樣なむと云ける程に、やがて此僧とくゐに成て、
山の中の人離たる所をきりはらひて、形の如くいをりを
結て住そめたるになむありける。かくて貴をこなひて年比に
成ければ、近程にて福原入道第此聖の事をきゝ給
ひて、實に貴き人哉事さま見よとて、守俊を使にて
消息し給たりけり。近き程にかくて侍れば奉憑。又い
かなる事也とも候はゞ、かならずの給はせなんど懇に
いはせ給ひてをくり物ともせられたりけり。聖人の云く
仰せは畏り侍べり。但行もなく德も無れば加樣の
仰せ蒙るべき身にてはゆめ/\侍ず。いかやうに聞食てな
をざりにて御使なむと給てか侍るらん。此事驚思給
ひ侍べり。此給はせる物もかへし奉るべき侍れど、恐れさ
りがだくて今度ばかりはとゞめ侍べり。今より後は候ま
じき事也。更々身に申侍べき用なく侍べり。又しられ
参せて御用に叶べき事は聊も侍ずと、いと事の外に
申たりける。使歸り参て此由きこへければ、實に貴き
人にこそされど左樣にもてはなれむをばいかゞはせむ。猶と
かく云は心にたがひなむとて、又をとづれ給はずしてぞやみ
にけり。さて此をくり物をば寺の僧どもに方々分とらせて、
我は聊もとらず。有僧あやしめて何かは是をうけ給
はぬ。まづしき物のわりなくして、聊の物なむど奉るこそ
心ざしはをもく見る。其をばうけ給ふめり。是程の物かの
御ためには何の物のかずにてはあらんと云ければ、の給ふ所い
はれたり。げに貧き人の志。をもき信施なれど、我うけずは
誰かはすくなき物を得て思計其志をむくはむとす
る。此を返す物ならば我罪をのみ恐て人をすくふ心は
かけぬべし。然者定て佛の御意にも背ぬらんと思給へば、
邪にうけ給ふ也。さて此入道殿は功徳を作給はむ
には何れの事か心に叶はざらむ。善知識を尋給はんにも
又行德高き人多し。誰か参らざらむ此法師知給
はずとも更々事かくまじ。いきをひいかめしふをはすめれば、
定て罪もをはすらん。させる德なき身にて引かづきて
由なしとて遁申す也とぞ云ける。こゝかしこより物をうる
程に、多く成ぬれば寺の僧をよび集て是を施す。更に
後のれうと思へる事なし。彼の山寺近くやまめなる老う
ばの堪がたくまづしきあり。是をあはれみて常に物なむ
ど取せける。しはすの晦日二人の手より餅をあまた得
たりける時、かのうばを思出て夜いたふふけて自もちて
行ける程に、年來持たりける念珠を落してげり。歸
りて後思出たりけっれど、しげき山をわけ行道な
れば、いづくにか落にけん求にも行ず、多年薫修つみつる
念珠をと、なげきながら、ずゞひき語ひてあつらへむとする
程に、烏の物を食て堂の上にから/\とならすを見れば、
我落したりける念珠也けり。烏いとゞ哀なりとて是
を返とりつ。其より此烏とくゐになりて人のものもちく
べき時は必きゐてなく。其居たるとをさに、今幾日也
とはからふに露もたがはず、ほと/\護法なむとも云つべき
さまにぞありける。又此庵の前にちいさき池あり。蓮
多くて華の盛には水も見ゑず。ひとへに紅梅の絹を
をほへるが如し。時の夏いさゝかも花のさかざりけるを
人のあやしみければ、今年は我此界をさるべき年とれば、
行べき所にさかんとて、こゝにはさかぬ也と答ける。實に其
年臨終正念に目出度てぞをはりにける。加樣の不思
議多く聞へ侍りしかと、事しげゝれば註さず。
※和田 神戸市兵庫区の和田岬周辺。
※妙法寺 神戸市須磨区に現在もある寺。
※樂西 伝不詳。
※ほた 榾。《「ほだ」とも》炉やかまどでたくたきぎ。小枝や木切れなど。《季 冬》
※風のをこりて 風邪を引いて
※慳貪 物惜しみすること。けちで欲深いこと。また、そのさま。
※福原入道 平清盛。
※第→弟(をとど)が正しい。清盛弟の頼盛か。
※守俊→盛俊が正しい。平盛俊。伊勢国一志郡須賀郷を基盤とする伊勢平氏に連なる有力家人。「彼の家、第一の勇士」といわれた。越中守。