北白河の入口には、北白河天神宮、乘願院が里の境を守っている。
北白河天神宮は、延喜以前より天使大明神と唱え、少彦名命が祀られていた。北白河久保田町にあった物を八代将軍義政公が文明年間、東山山荘造営に際し、今の千古山明神の森に遷座した。
北白河天神宮
乘願院
乘願院は元照高院の墓所だったが、照高院が明治期に廃寺となった事から、照高院門跡の位牌を安置している。
江戸時代の山中道は、石を切り出し運び出す為に利用されていた。直ぐに瀧があったとされているが、今は小さな滝しか無い。
古今集巻第十六哀傷歌
さきのおほきおほいまうちぎみをしらかはのあたりにおくりける夜よめる
そせい法し
ちの涙おちてぞたぎつ白河は君か世までの名にこそ有りけれ
流れる白河では、川砂が白い事から名付けられたとの事。
同川を流れる紅葉を古今集秋歌下では
志賀の山越えにてよめる
春道列樹
山川に風のかけたるしがらみは流れもあへぬ紅葉なりけり
と百人一首にも撰歌された有名な歌が詠まれている。
途中、身代り不動堂と北白川天然ラジウム温泉が有る。
今も京都-滋賀の抜け道として交通量が多く、バスと普通自動車がすれ違う時には、バスは停止しないといけない程道が狭く、歩行には注意が必要。
山城と近江の国境には、重石と呼ばれる石が有り、石仏が彫られているが、かなり苔むしている。
又、円行者像が安置され、修験者を見守っている。
山中のバス停を右手に行くと山中町となり、本道はバイパスとの事。
古い街道で、町も落ち着いた雰囲気を持っていて、因超寺、極楽寺、中のお地蔵さんと続き、西教寺には鎌倉時代と伝えられる大きな石仏が有る。地元では薬師さんと呼ばれているそうだが、阿弥陀仏である。
因超寺
極楽寺
中のお地蔵さん
西教寺阿弥陀石仏
今は蓋がされているが、
しかの山こえにていしゐのもとにて
つらゆき
むすぶてのしづくににごる山の井のあかでも人にわかれぬるかな
の古今集で有名な山の井と伝えられている井戸が有る。
そこから、道を外れると樹下神社が有る。元々は日吉大社の八王子権現この木陰で参詣者は休んだのかも知れない。丁度同神社の祭日だった。
参道
樹下神社
算額
山中の街並みを越えるとバイパスに出るが、これを渡り、20m程戻って小道に入る。砂防ダム建設の為に道路が整備されたとの事。そのままバイパスを行ってしまうと比叡平に出る。
一つ目の砂防ダムを過ぎて左に降りると小川添いに整備されていない道。舗装されている道も同じくたどり着く。
暫く行くと弁天道の常夜灯が並んでいるが、これを右に曲がって次の砂防ダムを越え、左に志賀峠の道標が有る。曲がらずそのまま真っ直ぐ行くと行き止まりとなる。
600m程行くと比叡山ドライブウェイの道路下のトンネルが有り、ここが志賀峠である。
参考
わたしたちの山中比叡平(比叡平小学校PTA 1988年11月)
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