朱雀院の行幸は、神無月の十日あまりなり。 世の常ならず、おもしろかるべきたびのことなりければ、 御方々、物見たまはぬことを 口惜しがり給ふ。 主上も、藤壺の見給はざらむを、飽かず思さるれば、 試楽を御前にて、せさせ給ふ。
源氏中将は、青海波をぞ舞ひ給ひける。 片手には大殿の頭中将。容貌、用意、人にはことなるを、立ち並びては、なほ花のかたはらの深山木なり。入り方の日かげ、さやかにさしたるに、楽の声まさり、物の面白き程に、同じ舞の足踏み、おももち、世に見ぬ樣なり。詠などし給へるは、「これや、仏の御迦陵頻伽の声ならむ」と聞ゆ。面白く哀れなるに、 帝、涙を拭ひ給ひ、上達部、親王たちも、みな泣き給ひぬ。詠果てゝ、袖打直し給へるに、待ちとりたる楽のにぎははしきに、顔の色あひまさりて、常よりも光ると見え給ふ。
源氏物語図屏風 右雙第ニ扇
宮内庁三の丸尚蔵館
旧桂宮家伝来
狩野探幽画
元は八条宮家(桂宮)所有で、寛永十九年に、八条宮智忠親王の元へ嫁いだ加賀藩主前田利常女、富姫の嫁入り道具として制作。桂宮家から寄贈され、御物となった。
令和2年11月17日 點四/八枚