と思ふ所は中神にあたる也。花尼の里小野にあり
すみ給かたはいむべかりければ、故朱雀院
りやう
の御領にて、宇治゙の院といひし所、此わたり
ゐんもり
ならんと思ひいでゝ、院守、僧都しり給へ
りければ、一二日やどらんといひにやり給
細院守は留守と也
へりければ、はつせになん昨日みな參り
にけるとて、いとあやしき宿もりのおき
宿守が詞也
なをよびてゐてきたり。おはしまさばは
や。いたづらなる院のしん殿゙にこそ侍めれ。
物まうでの人はつねにぞやどり給といへ
三僧都の詞 三朱雀院の御領なれば也
ばいとよかンなり。おほやけどころなれど、
人もなく心やすきをとて、みせにやり給。
宿守也
このおきな、れいもかくやどる人をみならひ
頭注
うぢの院 細平等院歟。
朱雀院の御領とあれ
ば、別の所歟。但宇多ノ
院の帝御管領なれ
ばさてかやうに書なせ
る歟。花李部王記ニ天
慶八年十月十八日朱
雀院宇多帝庄牧ノ勘文ニ
云ク宇治院萱原ノ庄被
留メ後院ニ云々。今案朱
雀に書なせる也。
院守 師此宇治の院守を
僧都の知人也。
宿もりのおきな 孟宇治
院の留主の人は物ま
ふでしてあやしき
翁ばかり殘居たるなる
べし花
物もうでの人はつねにそ
抄つねにさやうの人の
宿をかると也。
たりければ、をろそかなるしつらひなどして
まづそうづ 僧都
きたり。先僧都わたり給。いといたくあれ
ておそろしげなる所かなとみ給て大とこ
細はじめ尼君に添たり
たち經よめなどの給。このはつせにそひ
し法師と此第子と二人也
たりしあざりと、おなじやうなるいま
細点
ひとり、なにごとのあるにかつき/"\しき
げ
程の下らう法゙師に、火ともさせて人
もよらぬうしろのかたにいきたり。もりか
とみゆる木のしたを、うとましげのわたり
浮舟の物にとられてふしゐたる也
やとみ入たるに、しろきものゝひろごりた
るぞみゆる。かれは何ぞと立とまりて、火
をあかくなしてみれば、ものゝゐたるすがた
頭注
をろそかなるしつらひ
などして 細宇治院を
僧都のもと
へむかへにきたる也。哢同
孟やどもりの所為也。
物のゐたるすがた 抄人の
ふしたるやうなる也。
住み給ふ方は、忌むべかりければ、故朱雀院の御領にて、宇治の院
といひし所、此わたりならんと、思ひ出でて、院守、僧都知り給へ
りければ、一二日宿らんと言ひにやり給へりければ、
「長谷になん、昨日皆參りにける」とて、いとあやしき宿守の翁を
呼びて率て來たり。
「おはしまさばはや。徒なる院の寝殿にこそ侍めれ。物詣での人は、
常にぞ宿り給ふ」と言へば、
「いとよかンなり。公所なれど、人も無く心やすきを」とて、見せ
にやり給ふ。この翁、例も、かく宿る人を見ならひたりければ、疎
かなる設ひなどして來たり。
先づ僧都渡り給ふ。いといたく荒れて恐ろしげなる所かなと見給ひ
て、
「大徳(だいとこ)達、経読め」など宣ふ。この長谷に添ひたりし
阿闍梨と、同じやうなるいま一人、何事のあるにか、つきづきしき
程の下臈法師に、火灯させて、人も寄らぬ後ろの方に行きたり。杜
と見ゆる木の下を、うとましげのわたりやと、見入りたるに、白
き物のひろごりたるぞ見ゆる。
「かれは何ぞ」と、立ち止まりて、灯を明くなして見れば、物のゐ
たる姿
略語
※奥入 源氏奥入 藤原伊行
※孟 孟律抄 九条禅閣植通
※河 河海抄 四辻左大臣善成
※細 細流抄 西三条右大臣公条
※花 花鳥余情 一条禅閣兼良
※哢 哢花抄 牡丹花肖柏
※和 和秘抄 一条禅閣兼良
※明 明星抄 西三条右大臣公条
※珉 珉江入楚の一説 西三条実澄の説
※師 師(簑形如庵)の説
※拾 源注拾遺