1 はじめに
新古今和歌集において、西行法師は、集の撰者への与えた影響は大きく、94首撰歌、1首切出歌と最多の撰歌である。勅命者の後鳥羽院も、隠岐においての撰歌は80首と14首しか削除していない。(西行撰歌一覧を参照)
西行の歌は、山家集、異本山家集(石川県立図書館蔵)、聞書集、残集、補遺、自撰歌合の御裳濯河歌合と宮河歌合として、残っている。
新古今和歌集の一部伝本には、撰者名注記と呼ばれるその歌を撰歌した者名を、督、有、定、隆、雅のような記号で付したものもあり、誰がその歌を撰んだかが分かる仕組みとなっている。ただし、穂久邇本は、通具表記はない。
この事実から、新古今和歌集の撰者がどの家集から新古今に撰歌したのかがおおよそ掴めると言う仮定の元に調べてみる。
参考 常縁筆新古今和歌集断簡(筆者所蔵) 歌頭に選者名が注記してある。
2 選者と部類
選者がどの部類の歌を撰歌したのかを穂久邇文庫で見ると、表1の通りである。
表1 選者が撰んだ西行歌の部類毎の状況
四 季 賀哀離旅 恋 歌 雑 歌 神祇釈教 計
西行歌 26 12 17 35 5 95
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源 通具 1 1
藤原有家 7 2 3 3 1 16
藤原定家 19 8 12 27 66
藤原隆家 21 8 9 22 3 63
藤原雅経 15 3 9 22 1 50
不明 1 1 2 4
注 選者名は、穂久邇文庫(岩波文庫本)の選者名注記(通具は他本)による。
西行歌を一番撰んだのは、藤原定家で66首、次が有家が63首、雅経50首となっている(1首を複数の選者が撰んで重複あり)。
通具は、撰歌が1首と少ないが、時雨西行で有名な江口の遊女との贈答歌を撰歌している。
雅経は、穂久邇文庫本では不明となっている歌が、神祇では烏丸本が雅経、釈教歌では、烏丸本、尊経閣本では、雅経となっており、そこそこ撰歌している。雅経の撰歌スタッフとしては、友人の鴨長明がおり、長明が西行ファンである事は、無名抄と発心集で明らかである。
後鳥羽院などが、元久二年三月二十六日の新古今和歌集竟宴の後から削った事が判明している所謂切出歌は、「願くは花の下にて春死なむ」の1首で雑歌下に部類されていた。選者名は不明である。
選者名が記載されていない歌が3首あり、後鳥羽院や九条良経が竟宴後、直接歌を入れるように指示されたものという説の所謂切入歌と思われる。もちろん書写段階で欠落した可能性もある。
※大阪弘川寺歌碑 ねがはくは花のしたにて春死なむ