定家の中將をりふし御前にさぶらひければ、この返しせよとて、さし給はするに、いとゝく書きて御覽ぜさせけり。
久方のあめつちともに限りなき天つ日つぎを誓ひてし神もろともにまもれとて我がたつそまを祈りつゝ昔の人のしめてける 峰の杉むら色かへずいく年々をへだつともやへの白雲ながめやる都の春をとなりにて御法の花も衰へず匂はんものと思ひおきし末葉の露も定めなきかやが下葉に亂れつゝもとの心のそれならぬうきふししげきくれたけになくねをたつるうぐひすのふるすは雪にあらしつゝ跡絶えぬべき谷がくれこりつむなげきしひしばのしひて昔にかへされぬ 葛のうら葉は恨むとも君は三笠の山高み雲ゐの空にまじりつゝ照日を世々に助けこし星の宿りをふりすてゝひとり出でにしわしの山よにも稀なるあとゝめて深き流れに結ぶてふ法の清水に底澄みて濁れる世にも濁りなし 沼の蘆間に影宿す秋の半ばの月なれば猶山のはを行きめぐり空吹く風を仰ぎても空しくなさぬ行く末をみつの川なみたちかへり心のやみをはるくべき 日吉の御かげのどかにて君を祈らん よろづ世に千世を重ねて松が枝をつばさにならす鶴の子のゆづるよはひはわかの浦や今も玉藻をかきつめてためしもなみにみがきおくわが道までも絶えせずは言の葉ごとの色々に後見ん人もこひざらめかも
君を祈る心深くは頼むらん絶えてはさらに山川の水
定家 ふじわらのさだいえ1162~1241ていかとも読む藤原俊成の子京極中納言とも呼ばれ新古今和歌集新勅撰和歌集の選者小倉百人一首の撰者古典の書写校訂にも力を注いだ。
明月記 元久二年四月
廿日 天晴る。巳の時に參上す。小時にして、家長長歌を持ち來たる(大僧正詠進し給ふと云々)。此の歌に和し進むべきの由、仰せ事あり。長歌曾て未だ之を詠ぜず。卒爾勿論か。但し、出でおはでおはします已後に退出し、即ち篇を終ふ。文の如く点を加えず。形の如く清書し、又持參して家長に付け、内々御覽を經。直すべくば、直し進むべきの由を申す。還り來たりて云ふ、神妙なりといへり。此の如きの事、早速き還りて渋らざるに似たり。道のために不当なりと雖も、沈思するに依りて、風情を得べからず。早速きに依りて、頗る堪能を表はすべきの由。相励ますと所なり。返し下されず。之を以て悦びとなす。又退出す。
※ 我がたつ杣
阿耨多羅三藐三菩提の佛たちわがたつ杣に冥加あらせたまへ 傳教大師 新古今集
※なげきこりつむ
世とともになげきこりつむ身にしあれはなそ山守のあるかひもなき 後撰集
※葛の裏葉のうら恨みても
秋風のふき裏がえすくずの葉のうらみてもなほうらめしきかな 平貞文 古今集
※末葉の露も定め無き茅が下葉に乱れつゝ
あはれなり野辺の刈萱乱れても下葉は暫し露とまりけり 藤原俊成 俊成五社百首
※うきふししげき
今更になにおひいつらむ竹のこのうきふししげき世とはしらすや 凡河内躬恒 古今集