大かた
の
おぎ
の葉
すぐる
風の
音も
うき
身ひ
とつに
しむ
こゝち
し
て
大炊御門殿経孝公 さかき
野分
もののあはれにおぼえけるままに、箏の琴を掻きまさぐりつつ、端近うゐたまへるに、御前駆追ふ声のしければ、うちとけ萎えばめる姿に、小袿ひき落として、けぢめ見せたる、 いといたし。端の方についゐたまひて、風の騷ぎばかりをとぶらひたまひて、つれなく立ち帰りたまふ、 心やましげなり。
386 明石上
大方に荻の葉過ぐる風の音も憂き身一つに染む心地して
とひとりごちけり
大炊御門経孝(慶長十八年(1614年)- 天和二年六月廿六日(1682年7月30日))
後水尾天皇から霊元天皇(112代)の4代にわたって仕えた。
寛永八年(1631年) 従三位
権中納言・踏歌節会外弁・権大納言・右近衛大将など要職を歴任
明暦二年(1656年) 内大臣
寛文三年(1663年) 右大臣
寛文十年(1670年) 従一位、左大臣
寛文十一年(1671年) 職を辞した。
野分以外に、蓬生、澪標、梅枝、真木柱は大炊御門経孝の筆。匂宮の竹中季有、樋口信孝は同年代で齟齬は無い。
極札の張り間違えだが、経孝筆は間違い無い。
38.1×39.5cm
平成31年1月6日 八點伍
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