源氏物語 初音
姫君の御方に渡りたまへれば、童女、下仕へなど、御前の山の小松引き遊ぶ。若き人びとの心地ども、置き所なく見ゆ。北の御殿より、わざとがましくし集めたる鬚籠ども、破籠などたてまつれたまへり。えならぬ五葉の枝に移る鴬も、思ふ心あらむかし。
年月を松にひかれて経る人に今日鴬の初音聞かせよ
「音せぬ里の」
と聞こえ給へるを、「げに、あはれ」と思し知る。言忌もえしあへ給はぬ気色なり。
「この御返りは、みづから聞こえ給へ。初音惜しみ給ふべき方にもあらずかし」
とて、御硯取りまかなひ、書かせ奉り給ふ。いと美しげにて、明け暮れ見奉る人だに、飽かず思ひきこゆる御有樣を、今までおぼつかなき年月の隔たりにけるも、「罪得がましう、心苦し」と思す。
ひき別れ年は経れども鴬の巣立ちし松の根を忘れめや
幼き御心にまかせて、くだくだしくぞあめる
明石の上
年月を松に引かれてふる人に今日鴬の初音聞かせよ
意味:長い年月を姫君の成長を願って待って来た古い私に、鴬の様に(我が子の)今日の成長した声を聞かせておくれ
備考:「松」と「待つ」、「古」と「経る」、「初音」と「初子」の掛詞。「松」「引かれ」は縁語。本歌 松の上になく鴬の声をこそ初ねの日とはいふべかりけれ (拾遺集春歌、宮内卿)
※音せぬ里の 出典不明だが、源氏釈は、今日だにも初音聞かせよ鴬の音せぬ里はあるかひもなしを引歌とする。
返し 明石の姫君
ひき別れ年は経れども鴬の巣立ちし松の根を忘れめや
意味:別れてから年は四年経ったけれど、鴬の巣立った松の根は忘れたりしません。
備考:参考歌 末とをき双葉の松にひき別れいつか木だかき蔭を見るべき(薄雲 明石の上)
源氏
明石の姫君
夕霧?
童女
(正保三年(1647年) - 宝永七年(1710年))
江戸時代初期から中期にかけて活躍した土佐派の絵師。官位は従五位下・形部権大輔。
土佐派を再興した土佐光起の長男として京都に生まれる。幼名は藤満丸。父から絵の手ほどきを受ける。延宝九年(1681年)に跡を継いで絵所預となり、正六位下・左近将監に叙任される。禁裏への御月扇の調進が三代に渡って途絶していたが、元禄五年(1692年)東山天皇の代に復活し毎月宮中へ扇を献ずるなど、内裏と仙洞御所の絵事御用を務めた。元禄九年(1696年)五月に従五位下、翌月に形部権大輔に叙任された後、息子・土佐光祐(光高)に絵所預を譲り、出家して常山と号したという。弟に、同じく土佐派の土佐光親がいる。
画風は父・光起に似ており、光起の作り上げた土佐派様式を形式的に整理を進めている。『古画備考』では「光起と甲乙なき程」と評された。
27cm×44cm
令和5年11月5日 九點貳伍/肆