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不老不死の末路

2015-01-09 22:18:41 | Weblog
人は生まれそしていずれ死ぬ

それが

当たり前なのだ

死なないということは

相当の罪を背負っているに違いない

100年すれば仲間はいなくなる

子や孫の世代に変わっている

100年すれば世界も変わっている

天変地異が起きているかもしれない

哀しみが喪失により起こるものなら

100年でたくさんの喪失と

そして獲得があるだろう

喪失は確実に累積されるが

獲得はどうだろう

もはや悟らぬ限り哀しみに

耐えないだろう

それてもなお死なないということの

不幸は

人類もいずれ滅び

人がいなくなり

そして地球が死の惑星になり

星が死に絶えても

生きているかもしれないのが

不老不死なのだ

太陽はいずれ地球を飲み込み

地球は焼失する

その時までからだは亡びない

不老不死は孤独を

いずれ運んで来るのだ

それは来るときに必ずくるものだ

滅びてもなおあるのならば

銀河の終わりを見るかもしれない

それは孤独であり

そして言葉を失うだろう

本当に悟りになると

すごい平安の中で

言葉を必要としないのだ

その言葉が悟りを破ってしまうからだ

ただありひとつになった状態は

言葉を必要とせず

ただあるようになる

不老不死は魂の次元であったとしても

肉体の次元では起きないのだ

肉体の次元で起きると

悲劇しか生まないものになる

不老不死の末路は

やがて哀しい世界なのだ

仏陀が悟り

そしてなぜ解脱を望んだかが

ここにあるのだ

終わってもまた

スイッチがオンになって

また始まるだろう

それが宇宙だ

やがて哀しき不老不死を望むバカは

悟りなど遠いかも知れない