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「自分の旅」という言葉を初めて聞いたのは10年とちょっとぐらい前でしょうか。当時僕は東南アジアのメコン川にちょくちょく出掛けていってファルトボートで下ってました。成田空港に向かうため、微妙に通勤ラッシュを外した時間に逗子駅のホームに立っていると、そこにSさんがいました。
Sさんはシーカヤックのインストラクターを生業としていました。僕のファルトザックを見てしきりに「いいな」「いいなあ」と言うのでした。この時、旅に出たいのに行けない人がいることを知りました。
僕にとって旅は欲求です。行ってみたい、見てみたい、触ってみたいという想いを形にしたい。何事よりもこれらを優先する傾向がありました。人生の中での優先順位が高いのです。
旅に出たいのに出れないと言うのは、僕にとっては理解不能でした。「旅に出る」という目的がハッキリしている以上、そのための方法はあるはずです。方法を考えに考え、練りに練れば、必ず見つかる物です。
40歳になっても50歳になっても、家庭を持っても子供ができても、旅を諦める理由にはならないと思っています。
Sさんは別れ際に「jogoさんは自分の旅があっていいな」と言いました。「自分の旅」、自分ではあまり意識していなかった言葉でしたが、耳に残りました。
年末年始に3週間の予定で東南アジアか台湾に行こうと思います。僕はタイ、ラオス、カンボジアの川旅、タイの海旅の経験を有しています。興味ある人いますか?同行者を考えてもいいですよ。
若い人が「自分探しだ」なんて言うのはラッキョウの皮むきと同じで、むいていけばなにもないのです。 養老孟司