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朝イチ、nabeさんとサーフ出撃。残念、波に恵まれなかったけど、少し漕いで、その後ロール練習など。
漕いでる時は、昨今の「アメリカンフットボール事件」と「栗城さん遭難」が話題に。栗城さんは、評価が分かれてますね。山を真剣にやってる人達からは評判が悪く、一般の人やシーカヤッカーにはファンが多く好意的な人が多いようです。僕はどちらでもない。だけれども、生きて帰らなかったところはどう考えてもダメです。生還しないことは、恥ずかしくて、約束を破った事になります。
シーカヤッカーは、自分の艇を手に入れた時に、進水式である誓いを立てます。初めての進水時に、バウ(舳)を岸に向け、スターン(艫)を海に向け出艇し、すぐ岸に着艇させます。これはどんな時もバウを岸に向ける(遭難してどんな事があっても岸に帰る)=帰ってくるぞという誓いの行為。
山はどうなんだろう、遭難死を許してしまうのだろうか?、「あいつは良くやった」とか「本望だっただろう」なんて言って。僕は山のことはよく知らない。だけれども、35歳と若い挑戦者が死んでしまうことは、許してはいけないことだと思う。後に続く人は、彼の死を乗り越える時、彼の失敗(=こう言ってしまうと怒る人もいると思うけど)から教訓を引き出し、同じ地雷を踏まない算段をして欲しい。
帰り道と帰る場所を、必ず頭において挑戦して欲しい。退路のない前進はいつか破綻する。進む道より帰る道。栗城さんは帰る場所がもう無かったんじゃないかな。どんな人でも温かい帰る場所が必要なんだけどな。栗城さんのヒリヒリした感じ、これを忘れないようにしよう。僕も地雷を踏まないように。
大切なことは、実態をいかに正しく表すか、です。 青野慶久