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「こんにちは。どこに行くの?」
「学校だよ!あなたはどちらまで?」
「ストゥントレインまで」
「そんな遠くまで、大変ね」
カヌーで通学中の子供たちに会った。学校へ行くもの、お寺に向かうお坊さん、市場に行く一家、いろいろな人たちとすれ違った。今でこそ、道路ができたが、数十年前までは河が道であり、流通路であり、移動の手段だった。陸は湿地で、虎や象などの猛獣がいる。人々はそれらを恐れた。そのため、町や村は川縁に多く、河は生活空間であり、多くの機能を未だにはたしている。メコン河は生きている河だと感じた。
子供たちは水に親しんでいた。強い流れをフェリーグライドで右岸から左岸へ、左岸から右岸へカヌーで渡っていった。おばあちゃんも、反転流を使い川を上って行った。力強いパドリングではなかったが、熟練を感じさせる。子供の頃から、日常的にカヌーを使っているんだろう。カヌーが生活の道具なのだ。僕らにとってカヌーは遊び道具だ。レクレーションの道具だ。生活の道具としてカヌーは、僕らの使っているものとは明らかに違うものだった。無骨で、洗練されてない。だが、強く、使い勝手がよく、そして安価だ。カヌーで通学する子供たちが、まぶしく、かっこよく見えた。