チコちゃんの「なんで?」は最悪の愚問である…「5歳児の罵倒芸」に文化人類学者が本気で怒りを抱いたワケ - ライブドアニュース
NHKの人気番組「チコちゃんに叱られる!」について、「チコちゃんの『なんで?』という問い。あれは『最悪の悪問』だ」と指摘したツイートが話題を集めた。投稿主である愛知...
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目次
■チコちゃんの「なんで?」は最悪の悪問である
■問いかけに潜んだ問題点
■「なぜ」という異質な疑問詞
■「なぜ」の問いは科学の原動力になった
■「なぜ」という問いが通用する時、しない時
■ティンバーゲンの「四つのなぜ」
■「ドライバーが赤信号で自動車を止めるのはなぜか」
■説明の方法は複数通りある
■一つの原理に基づいた一つの答えを押し付けるべきではない
■異文化を「手軽に解説する」という暴力
■他者を勝手に説明し、知的に満足してよいのか
■手話を学ぶ人がやりがちな過ち
■チコちゃんが説明と理解の決定権を独占している
■「ボーっと問うてんじゃねーよ!」と言いたい
最近、クイズ番組でもそうですが、一緒になって解答したり、それが参考になったりする事は少なくなった。
勿論、東大王などの難問は通常世の中で使う機会が少ないのです。
そうなると余程知って得する、または知らないと恥ずかしいのを除けばテキトーに見て忘れます。
チコちゃんに叱られる!でも同様で確かに世の中で確実に全部知っている人も少ないし、この手の話を専門に集めて生業にしている人しかそんなに答えを確実に知らないのでは?
だから、むしろ本が出版されて売れるのでは?
そして忘れた頃に話のネタとかにされるのでしょう。
文化人類学のような高尚な学問とは縁遠い自分の答えは構っていられる暇がないと言うオチなのです。
多様性についても言いたい人は言うでしょうけど、こんな事書いたらヘイトですがそのような人に会う確率が低いのか日常で困る機会も少ないのです。
それでブログだとかは自分は古い人間なもんでと逃げるしかないのが現実です。
よくある、正当な答えはこっちだけけど、世間で通用しているのはそっちとなるような事例に近いのかと思います。
テレビで見る時の参考情報と現実の世界で通用するような話とでは違っても仕方ないのでしょう。
簡単言うと世間一般だと相手の話にそこまで気を遣えるような人に出会えないから安心しています。