資本主義市場や社会で生きられる才能を磨く事なのかと思います。
確かにコラボのnyさんではありませんが、間違った方向の才能やコネクションは長けています。
ですが、如何せん正規の方法も相当知らないと出来ない外道な人達がやる行為に近いように見えてしまいます。
それで言えば、かなりリスキーな選択かと思うのです。
そこまでやらなくても人を集めたり、ある程度覚悟して起業しても勝つ奴は勝ちますよね。
問題は資本が無ければそれに代わるような力を付けるしかないのです。
ですが、そんな人を守ってくれる社会なのかです。
負け組をフォローするのは至難です。
その人まで巻き込まれるのは悲惨ですから。
たいてい、負け組で最後にすがっても身内、友人から非難される結果が待っている人もいるのです。
そんな意味では孤独との闘いです。
1987年だと著者(斎藤幸平氏)は
おそらく1995年の阪神大震災やオウム事件についてもリアルではないのでしょうね。
それに2007年のサブプライムローン問題も理解して実感のある社会的な影響をモロに受けたとかではないのかと思います。
だから、アベノミクス等に反応してしまうのかと推測されます。
そう言えば、誕生前のバブルやその前の経済成長を見ていれば少なくとも批判よりは実際の経済活動の方が面白いでしょうに。
学術的には世界的な人なのかもしれませんけど、リアルに経済活動の経験が少ないから脱成長コミュニズムとか言ってられるのかと思います。
実際のところは資本主義が消費や労働に駆り立てている訳ではありません。
市場経済が消費を促すのはそれで利潤を稼ぎたいからです。
株式会社ならそれこそが目的で配当する事で成立しています。
それが出来ないと役員は本来なら機能していないのでクビです。
一方で労働分配率の問題があります。
これが低く抑えられていた原因は国際競争力の低下でした。
円高によるものですから、労使交渉では決まらない外側の要因です。
かくて、日本の企業は国内外の消費でどうにか生き延びようとしていました。
ところが、これだけだと需要と供給からそんなに労働側が凹む必要はなく、景気回復か少なくとも円安なら労働配分率を上げられた筈です。
すなわち、個人消費を適度に活性化して景気循環する筈です。
ところが、実際にはそう行かないもう一つの要素がありました。
工場で言えばオートメーション化、事務ならデジタル化の波で合理化が可能でよりプログラムに詳しい人間に価値を見出したのです。
最低でもパソコンに熟練してタイピングが早いとか、少しは分かっていてトラブルに対処出来るのがいいと言う判断です。
現実には高齢化社会でリストラしないとやっていけないのとまた役職が足りないから管理職さえもリストラ対象でした。
酷い話がリストラを仕切っていた当の本人が人間関係でいられなくなります。
なので為替、労働分配率、個人消費、リストラなどを意識しない経済思想なんて成り立ちません。
本気でやれると思うなら、社会実験でそう言う組織を作って試しに動かせば明瞭に成立しません。
ロシアの共産主義でも集団農場で失敗して凄い犠牲を出した。
中国の共産主義はむしろ国営企業が潰れないのをいい事に競争意識が低く、市場開放の1992年まで生産性は悪かった。
実のところ、計画性経済の成功例はないに等しく難しいのです。
競争型の市場経済で新興国として経済活性化しただけで例えば中国は未だに毛沢東の共産主義の亡霊に悩まされています。
簡単な話、中国の共産主義観は国営企業でも民間企業でもやる気のない連中が共産主義は公平だと嘘吹いてしまうのです。
脱成長コミュニズムとか言うのは勝手ですが、大きな落とし穴があります。
日本では成立しません。
成長しないと年金は成立しないので、残念ながら老人パワーに潰されます。
個人財産の一部を共有化するにしてもそれも難しいのは考えると直ぐに分かります。
先ず土地を公地のような形にしたら、銀行はほとんど儲けられません。
貸付の殆どはマイホームか、会社が借地の場合でまして建物まで公共化したら、かなりアウトになるのかと思います。
学校の窓ガラスが割られる原因は教育の質が低いのも有りますが、原価や工事費を事細かに教えていないからその価値や仕事の大変さに気がつかないのと同時に公共の大切さを学び切れていないのです。
話は飛びますが、北朝鮮が失敗した原因は何かトップの所為にされて終わりがちです。
しかしながら、現実には集団指導体制でも孤立してしまえば、詰んでしまいます。
反対にベネズエラのチャベス大統領は数少ない共産主義国家で成功した事例かと思います。
それで言えばそれなりの成長率でしたし、何より産油国でかつ原油高でした。
条件が揃う方が思想よりも大切だったのを実証しています。
景気が良かった頃の日本でやはり言われていたのが、日本の方が下手な共産主義の国よりも一億総中流で良かったと言われました。
実際にはやってみないと分からないのもありますが、江戸時代の向こう三軒両隣のような連帯制度になると今なら窮屈ですよね。
それに近いような話になるのは共産主義の密告でも同じで、中国だと当たり前に警戒します。
理想と現実が違うのもありますが、それならいっそのことルームシェアのような共同空間で下積みすれば分かるのかと思います。
簡単に言えば相互に尊敬出来ないと厳しいのですから。
均一なら兎も角、格差を是正するのに提言するのなら、せめて人間関係や地域性を配慮したモデルにしないと公共を確保するだけの能力だけでも疲れますよ。
だってどのくらい鉄道が廃線に追い込まれたのかそれが全部地域経済の能力ではその鉄道を維持するだけの経済活動がないと言う話ですから。
だから、思想よりも具体的な条件に合った選択をするのは仕方ないのでしょう。
勝ち組からすればこんなの簡単と思うかもしれませんが、現実にピラミッド型の支配構造が一番安定していたのは経済成長期のパターンからも分かる話です。
つまり、具体的な条件下で経済を回せるようなシステムでも使用して組織を組んで対応するしかないのかと思います。
書けば書くほど、要因が多く万能な形は見つかりません。
それが答えで、かつこれからもそう言うような条件の変化、および新要素で会社やフリーランスなどの選択肢も増えるのでしょうね。