親ガチャと言う言葉が単に利用されたに過ぎないのを知らない人達が騒ぐ様は異様です。
このブログの以前の投稿から抜粋しました。
親ガチャはなんJ発祥で初めは極端な表現の半分ネタだったはずなんだけど 広まるにつれてガチの他責思考に向かった
冗談的な展開から、他責思考になった時点で既に一人歩きしています。
そして世間では使用しないような言葉をマスコミが使用したいだけで取り上げたから本質が無いのです。
何故なら、普通は言わないし、言ったら喧嘩になるのは分かっていますから。
では何故この言葉をマスコミが使用したがったのかと言えば相対的貧困などとペアにして政府批判したいのもあったと思われます。
なので面白がって話す以外は余程注意深く話すしかないのですが、
つまり、世間はこの言葉を使用したがらない面もあります。
なのにそう言う設定の問題を出して結論が
「運の違いも努力の差も軽視しない社会の仕組みを考え付くことができるといいですね」的な話です。
倫理だとこれでも良いのかもしれません。
ですが、現実問題だとババ抜きのババのようなワードです。
持っているのを知られたくないし、知られても否定するのに至難です。
ヘイトがダメと言う割にヘイト要素のある言葉やその絡繰を利用するのは配慮に欠けるか、反対にその本質的な解決を想像出来ない人なんです。
では何時がこの言葉の終点でしょうか?
以外に簡単な答えがあります。
それは成人したら、またはその世帯から外れたらそこで終わります。
自分が大人になったのに自分の大変さを他へと転嫁するようでは大人とは言い難いです。
偉そうに語っても自己責任を自覚して普通に生きていれば問題は少ないのです。
では何が問題なのかと言うと比較される、または選択されるか否かです。
就職や結婚等かと思います。
それに信用がどうなのかで辛いかもしれません。
借金するとしても担保ですから。
それで言うとむしろ親ガチャでとんでもないのを引いた方が一生ものを背負わさせられます。
歌舞伎や伝承無形文化などなら逃げられなくて苦労しますよね。
落語家さんでも二代目○家三×さんはもっと気楽でもいいのにと思うくらいの期待と結果の苦い経験ですから。
こう書いても本来とは離れた使用なのかもしれません。
本来、なんjとか言うようなその場限りのお喋りで終わるものでした。
それを騒ぎ立てて如何にも流行語か何かと勘違いしたマスコミが流行っても無いのに踊らせた結果なのです。
一番の問題は貧困の連鎖を肯定してしまう事で社会の階層を登るような機会が失われる事です。
本当に必要なのは実力にしても稼ぎにしても本人だし、学歴などが優先される社会に問題もあります。
現実、東大出身の閣僚がドミノ倒しで更迭され続けました。
たまたまなのか驕りなのか知りません。
問題を作成する教授が何をもってこの設定にしたのか?
そこに現代社会を見ているようで知らないトラップです。
マスコミがワザとやっているような炎上商法に近いキーワードを弄る事になります。
現実では言い出せない、言い出せば喧嘩になるような話ですから、当然の如く触れないのでしょう。
何故、このレベルなのかと言えばそもそも何もできないマスコミに騙される程度の真面目さなんですよね。
それに本当に家庭が問題なら、トー横の溜まり場に辿り着くとか、ネットで似たような境遇を誘い文句に酷い目に遭わされるとかそっちなんですよね。
だから、コラボに文句が出ているのにそれをマスコミは理解しないのです。
そしておそらく大学教授とかだと更に見えていないのでしょうけど。
本当にヤバい事はオブラートに包んで、それとは別の形で言葉遊びしてしまうのはどうなのかと思います。