これがまた問題の導火線にならなければ良いのですが。
テレビ業界が多額の製作費から節約しなければならなくなって、
ドラマもセットやその表現に金を掛けられなくなったように思えます。
それと同時にストリーを凝るなとで目立っても一般的な流れとは乖離しているように映ります。
まして手紙の朗読のような話で繋ぐとそれだけで感情的ではあってもテレビの良さは消えてしまいます。
それにバラエティの底なしの現実乖離やネットと同程度の茶番など限界を露呈している感じがします。
何故なのかと言えばトップを走っている人達が頑張っているのはわかるのですが、如何せんお笑いの立場を超えていたり、過剰な期待へのサービス精神でついていけなくなります。
電通の宣伝自体も抽象的・イメージ先行です。
そして何よりも勘違いしているテレビ制作サイドの下請けへ投げるようなやり方で結局スポンサーとあがめても実際には反映していないのかとなります。
それに加えて以前からの意見が偏る番組評価の在り方なのでテレビ離れと同時に飽きやすく次々と変わる出し物でなかなか視聴者の心を掴めません。
更に変な誤解が大手を振っているのも有りますよね。
テレビはかくあるべきなんて言うネットに多く見られる評論的な書き込みでそのほとんどが制作側の苦労とはかけ離れています。
その書き込みが正論のように作り手を悩ませていくので悪循環に陥ります。
コロナの所為では有りますが、変わらなければならない点も有るのかと思われます。
その第一が的確な表現と売れる、利用されるような具体的な取材でしょう。
結局上辺を装っても中身が違えばリピーターは増えませんから。
そしてそのCMと同時に番組制作スタッフの勘違いを是正しないと結局は視聴率も取れないだけでなく、スポンサーのイメージに関わります。
腰の低いイメージがないディレクターやプロデューサーです。
なかなかお調子者では良い作品を作れないのが今のネットからも判断されます。
オリジナルを作る苦労が見える時にテレビの体質がそう簡単に良くなるとは思えません。
何故こんな事になったのかの原因は視聴率やその反響の評価の仕方に限界があるように見えます。
所詮、ゴールデンや休みでもない限り、家にいる人は限られます。
そして、必要な情報も多岐にわたるとそれだけで盛り沢山になってしまいます。
同じ時間帯の番組なのに志向も異なり、ターゲットも違うように見えます。
それでいて評価を同じテーブルに乗せること自体が制作の多様性のチャンスが減り似たか寄ったかの番組が並ぶことに成り兼ねません。
広告代理店が変わらないとテレビ制作の現場も変わらないし、金の使い方や稼ぎ方で良くしないとこれまでの政治との癒着なども含めて閉塞的な経営状態です。
ズバリ言えばそんなにエリートでもないし、そんなに綺麗事でもないのに何故か持ち上げられたのを世間も黙っていたので勘違いしているだけです。
その辺りを自覚し直せばもう少しネットに行った若者も振り向くのかと思うのです。
でもダメなんだろうなぁと思うのはネットのCMはテレビ以下のもゴロゴロしていますから。