ケルトは日本人の友人4人と[MosiMosi]という会社を設立し、日本文化、日本語、習字、お花、茶道、日本体鼓、等をエストニア人に教えることを始めたそうです。本当に彼女は若いけれど良く日本のことを知っています。一番困るのは、「志」をエストにア語に訳するときだそうです。そういう表現が英語にもなく、どういう風に表現すれば良いのか困るそうです。気の使い方が日本人的で、ケルトと一週間一緒に過ごしましたが、日本人と一緒にいるようでした。
ケルトはソ連時代ゴルバチョフとエストニアの大統領が決めた交換留学生として、選ばれて高校の時にシアトルに3ヵ月留学し、19歳の時にスウエーデンに5年間ご主人のハンドボールプロリーグについて過ごした後日本へ8年住んでいたので、人生の三分の一近くは海外生活の才媛ですが気持ちが優しく大らかな性格。
エストニアに帰ってきたのは、子供達がエストニア語を忘れかけたからだそうです。母国語を大切に思うのでと話しました。ロシア時代の厳しい生活の中でも家族や親戚などの絆が生活を豊かにしてくれました。誕生日にはみんなで集まり、お祝いしたので30人の親戚全部の誕生日が毎月のようにあり、ささやかな楽しみがありました。と話していました。
ケルトはソ連時代ゴルバチョフとエストニアの大統領が決めた交換留学生として、選ばれて高校の時にシアトルに3ヵ月留学し、19歳の時にスウエーデンに5年間ご主人のハンドボールプロリーグについて過ごした後日本へ8年住んでいたので、人生の三分の一近くは海外生活の才媛ですが気持ちが優しく大らかな性格。
エストニアに帰ってきたのは、子供達がエストニア語を忘れかけたからだそうです。母国語を大切に思うのでと話しました。ロシア時代の厳しい生活の中でも家族や親戚などの絆が生活を豊かにしてくれました。誕生日にはみんなで集まり、お祝いしたので30人の親戚全部の誕生日が毎月のようにあり、ささやかな楽しみがありました。と話していました。