私の記憶の中に残っている山ノ内町はほとんどありませんでした。
正直なところ町名にまったく記憶がないのです。
50年以上前に長野電鉄に乗って「木島」という駅に降りた記憶があります。
その時行った先は「野沢温泉スキー場」でした。
場所も駅名も間違いなく、駅で降りるときに、駅の場内外を区切る柵より高く積もった雪を乗り越えて降りた記憶があります。
キセルをした訳ではなく、正規料金は払ってあったので、近道をしただけ?です。
最近、山ノ内町から飯山市に抜ける道路403号線を走っていて木島平村を通り、思い出しました。
志賀高原にもかなり通っていたのですが、山ノ内町とは気づいていませんでした。
つい最近(2015.10.11)竜王スキー場「sora terace」に写真を撮りに行こうと思いたどり着いたのですが、強風のためゴンドラが動かず断念しました。
その時、若い頃ここ来たよな、こんなだったけかな?北志賀竜王スキー場?だったようなかなり曖昧な記憶ではあります。
写真を撮れずに帰ったその時途中の坂でりんごを買って帰りました。
おばあちゃん、おじいちゃんが、持って帰れ持って帰れとたくさんのりんごやブドウをくれたのを覚えています。
その時、リンゴ販売所の上の急角度コーナーの少し先で撮った写真です。
背景はコスモスです。
まさかこのほんの2−3Km先の家を買うことになろうとは想像だにしていませんでした。
人の運命なんてわからないものですね。
この木は今でも変わらず大きなりんごを実らせています。
ですから勝手に、他人に迷惑をかけない範囲で妄想をふくらませることは自由気ままです。
設計図の組み直しで気が付いたのですが、北側の一間半の土間が10Mあるのですが、ここに現在ストーブを炊いている場所が含まれていて
母家に送風で暖かい風を送り込むようなのですが、そのまま壁を一つ作らずに引き戸にしてはどうかなと思い立ちました。
1間半分を半間の引き戸3枚で解放しようというものです。
多分大工さんから却下されるとは思うのですが、提案してみようかと思います。
もう一つは、ストーブの先に、四畳半分の板張り壁の部分が残されています。
ここに簡易茶室を作っては、どうだろうかと、思いました。
これも却下であろうことは想像されますが、提案事項の一つです。
そのようにすると、東側の空間1間幅約13mの空間への通路がなくなってしまうのですが、現行ある大玄関の正面の半間扉の先に6畳の風呂が残っているので、脱衣室に半間の扉を
現行小玄関から移して入口を作ってはどうだろうか?と提案してみようかとも思っています。
コンセプトが、大きな空間すぎるから土間を広くとって空間を狭くしようというものなので、多分全て却下となるでしょう!
複雑すぎてわからない家でしたが、改めて整理すると、私の部屋は、先ほど書いた大玄関の先の小さな扉の先(階段下)にコッソリ作れそう(風呂場壊して)な気がしてきました。
東側の土間には未だ壊していないもう一つの風呂場(4畳)が存在しています。これは床も桶も総檜製
大工さんは壊すのに飽きたようで、早く床板を貼りたいと言っているので、ふたつの風呂場はそのままかもしれない
ここのヒノキで、ピクニックテーブルを作成してみようかと考えています。
裏までめくって見ましたが、腐れはありませんでした。
10日から13日までの作業後相模原に帰って、葬儀があって一日休んで二日連続で仕事して、水曜日にいつもの医者に行って帰ってきたら、グタグタに疲れが出て3日間ほとんど寝ていました。
3日目に医者に再度行ったのですが、「疲労は医療では治せない」と言われて、返されました。
月曜からまた働く予定です。