「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

ラグビー界のデットマール・クラマーさんに想う

2017年11月26日 15時43分45秒 | サッカー選手応援
NHK-BSの番組に「奇跡のレッスン」というのがあります。最近放送された番組で、ラグビー日本代表の前監督エディ・ジョーンズさんが来日され、国内のラグビー指導者たちを対象にレッスンを行なった様子が放送されました。

現在はイングランド代表の監督(海外では監督という呼称は使わずヘッドコーチという呼称のようですが)をされているエディ・ジョーンズさん。2012年4月から2015年11月まで日本代表監督をされ、世界で戦えるチームを作り上げた方です。

今回の「奇跡のレッスン」の放送に先立ち、NHKの朝のニュースが要約版のような紹介をしてくれました。それを見て、私は「この人はラグビー界に現れたデットマール・クラマーさんだ」と思いました。

日本サッカーは、いまから57年前、西ドイツからデットマール・クラマーさんを招聘して指導を受け、その後のメキシコ五輪銅メダルにつながる成果をあげました。

デットマール・クラマーさんが偉大たったのは、長期的な視点にたった日本サッカー強化のための提言を残してくれたことで、現在につながる日本サッカーへの貢献から「日本サッカーの父」とまで呼ばれている方です。

今回、ラグビー指導者たちを前にしてエディ・ジョーンズさんは、こう話したそうです。「そもそも日本発祥でないスポーツのラグビーにおいて、日本的なチーム作りをしても勝てるわけがない。日本的な考え方を根本的に変えなければ勝てない。つまり自分たちを変えなければ勝てない。」

そして日本的であることの典型的な例としてコミュニケーションの問題、選手間の意思疎通の問題をあげたそうです。日本的な「阿吽の呼吸」ではダメなんです。一瞬にして攻守が切り替わってしまうラグビーの試合の中では、常に緻密で的確なコミュニケーションを積み重ねていかないと必ず負けてしまうというのです。

試合中によく声を出せ、という言い方をしますが、ただ声を出しても意味がないわけで「何を誰に伝えるのか」という意思が明確であることが、真のコミュニケーション・意思疎通だというわけです。

ラグビー界におけるこのような指導の様子を、日本のサッカー関係者が見たり聞いたりすれば「サッカー界では50年前のクラマーさんの時代から、それをわかっていましたよ」という反応が聞こえそうです。

つまり「ラグビー界もやっとデットマール・クラマーさんのような指導者を得たのですね」という反応です。おそらくサッカー界に身を置く方100人に感想を聞けば、98人はそう答えると思います。

けれども思考がそこで止まってしまっては、やがてサッカー界はラグビー界に人気スポーツの座を奪われてしまうのではないかと感じました。

W杯出場も、ラグビー代表が常連になり、サッカー代表は出場がおぼつかないような時代がくるのではという危機感です。ラグビー界の指導者たちは、いま必死です。エディ・ジョーンズさんの教えを、まるで吸い取り紙で全て吸い取ってしまわんばかりに吸収しようとしています。

サッカー界の指導者たちに、いま、そのような純粋な真剣さを求めても無理ではないでしょうか。だとすれば、それでは「まずい」と考える人が、先ほどの100人のうち2人ぐらいはいて欲しいと思います。

「これは、まずい。我々も今一度初心に返らなければ」という危機感を抱いて欲しいのです。
「あれは遅れているラグビー界の話」と感じるだけで思考が止まるのは、ある種の「驕り」があるからです。

常に他を見習い、初心に返り、わが身を振り直す気持ちがなければ、やがてツケが回ってくるに違いありません。

「ラグビー界のデットマール・クラマーさんであるエディ・ジョーンズさん」のニュースに接して、そのようなことを想いました。

では、また。

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アルゼンチン代表チームが襲われていた地獄の恐怖と、そこからの生還

2017年11月26日 13時22分13秒 | サッカー選手応援
今日の話題は、最新号のNnmber誌940号「動乱の時代のフットボール」にある、チズル・デ・ガルシアという人のレポートによるアルゼンチン代表です。

Nnmber誌では「神に導かれしアルゼンチン リオネル・メッシ恐怖と腐敗を乗り越えて」というタイトルがついています。

ご存知のように、ロシアW杯南米予選の最終節、アウェーのエクアドル戦、2800m以上の高地にあるキトでの試合、開始40秒で先制されたにもかかわらず、メッシがハットトリックを達成、W杯脱落の危機から一転、出場権を勝ち取った試合のレポートです。

このレポート、キトでの試合に帯同した元アルゼンチン代表のルジェリ選手へのインタビューを中心に構成されていますが、アルゼンチン代表チームが、W杯脱落の危機に陥った時に襲われる恐怖の壮絶さたるや「これほどまでの立場に立たされるのか」と思わずにはいられませんでした。

そこで、少しでも多くの「サッカーを愛する皆さん」にお伝えしたくレポートから抜粋してみたいと思います。

ルジェリ氏自身も、1994年アメリカW杯の予選では、オーストラリアとの大陸間プレーオフに回る綱渡りの中、アウェーの第一戦を1-1のドローに終ったため、国内は選手に対する残酷なほどのバッシングで溢れかえったそうです。

そんな中での迎えたホームでの最終戦、ルジェリたち代表選手は、スタジアムに向かうバスの中、全員でバスの窓ガラスを叩きながら大声を張り上げて歌いながら気持を紛らわせたそうです。恐怖感で締め付けられるような時間、そうしないではいられなかったのです。

さらに、試合に臨むためピッチまでの通路を歩いていく中、足はガクガク震え、手には汗が滲みだしたといいます。もし負けたら、もしW杯に出場できなかったら、という思いが頭の中で渦巻き、一刻も早くキックオフの笛を聞きたかったそうです。

24年の時を経て、今回エクアドル戦に臨んだ選手たちも、同じ思いでピッチに向かったことは想像に難くありません。

なぜなら、メッシの神がかり的な活躍で出場を決めたあとのロッカールーム、何人かの選手たちは慰めようもないほど号泣し、むせび泣きが止まなかったといいます。

その様子を見てルジェリ氏は言います「私にはその気持ちが痛いほど理解できたからね。W杯に出場できなかった屈辱は国史における汚点として後世まで語り継がれ、主人公たちはその『罪』を背負ったまま生涯を過ごし、本人だけではなく家族も苦しむ。そんな悲劇が起きずに済んだ。救われたという安堵感から涙が溢れ出たんだ。(中略)我々アルゼンチン人にとって、W杯とはそういうものなのさ」

何ということでしょう。地獄の恐怖に襲われ、そこから生還できた選手たち、彼等は、うれし涙に暮れたのではなく、救われた安堵感から、とめどなく嗚咽していたのです。

私の心は激しく揺さぶられました。W杯サッカーの本当の凄さが凝縮されている光景です。世界のサッカーシーンには、こういう過酷なシーンも存在するのです。そして、我らが日本代表は、そういう過酷な体験をくぐり抜けてきたチームとも戦わなくてはならないのです。

もはや「たかがサッカー」でないことは歴然です。よくサッカーというスポーツは「その国の文化そのものを映すスポーツだ」と言われます。アルゼンチン代表チームの体験は、そのことを雄弁に物語っています。

このレポートには、もう一つのポイントがあります。それはリオネル・メッシの試合後の対応です。これはサプライズ対応だったそうです。代表チームに対する攻撃的な報道が一部で続いたことを理由に、選手たちは昨年11月から取材を一切拒否する姿勢を貫いていたからだそうです。

メッシは、大勢の報道陣が待ち構えていたところで足をとめ、マイクとテレビカメラが立ち並ぶ中、メディアの取材に応じて、母国の人々に結束を呼び掛けたというのです。

「代表チームが順調であって欲しいと願う気持ちは皆同じ。そのために手を取り合って団結すれば、実現がもっと簡単になる」とメディアにも連帯意識を促したのです。

筆者は言います。「多大なプレッシャーと恐怖に包まれたチームを勝利に導き、母国を悲劇から救った直後とは思えないほど冷静な口調と穏やかな表情からは、どこか高貴な雰囲気さえ感じられた」と。

実はアルゼンチンサッカー協会は、長い間腐敗しきった組織が、2016年ブラジルW杯の直後に崩れ、それが代表チームをサポートできない状況を作りだしていたそうです。

それが、今年の3月になってから新会長の体制になり、劇的にサポート体制が強化され、メッシ自身もチーム作りに意欲を表していたことで、エクアドル戦にも強い信念を持って、迷いなく臨んでいたようです。

レポートは、こう締めくくっています。「協会の腐敗による影響、そして予選敗退の恐怖を乗り越えたメッシ。一時は失ったアルゼンチンサッカー協会からのバックアップを取り戻し、結束したアルゼンチン国民からのサポートを得た今、もはや恐れるものはない。あとは4度めのW杯で母国を32年ぶりの世界チャンピオンの座に導くという大きなチャレンジを、仲間たちと一緒に堪能するだけだ。」

ロシアW杯が楽しみになってきました。4度めの出場にして、ついに「メッシの大会」と言わしめる可能性がにわかに現実味を帯びてきたからです。

イタリア、オランダの不出場も、メッシがその活躍によって忘れさせてくれるかも知れません。そのアルゼンチンとなら、ぜひハリルジャパンも相まみえて欲しいものです。


最後に、この珠玉のレポートをモノにしてくださった「チズル・デ・ガルシア」という人のプロフィールをNumber webサイトから、敬意を込めて転載させていただきます。

藤坂ガルシア千鶴(Chizuru de Garcia)
1989年3月よりブエノスアイレス在住。チヅル・デ・ガルシアの名前でサッカー専門誌、スポーツ誌等に執筆中。著書に『マラドーナ新たなる闘い』(河出書房新社)と『ストライカーのつくり方』(講談社現代新書)、訳書に『マラドーナ自伝』(幻冬舎)がある。

では、また。

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