
■■■■■■■■■記憶と忘却の相剋■■■■■■■■■
■■「想い出の歴史」
⚫️このブログがスタートしてから15年が経つ。
私どもの家庭にも想い出があるように、私どもの活動にも決して忘
れる事ができない想い出と歴史がある。
しかし齢のせいか, 当時の重要な出来事や,キーマンの名前がすぐ出
てこない。また話が核心に及んでも枢要な人物の名前が想い出せず、
話を中断せざるを得ない事態が増えてきた。実に困った事である。
⚫️美貌の脳科学者 中野重子博士の著書「記憶と忘却」によると、
忘却は「劣化」と「干渉」という理由で生じるという。
そして「記憶」は使わないと、たちまち劣化するという。
折角なので、私どもの日タイ国際交流、なかんずくチェンマイロング
ステイの盛衰の顛末について、ささやかな記憶を辿りながら、記録に
残しておこうと考えている。
■■「初めてのチェンマイ」
⚫️私が初めてチェンマイを訪れたのは1999年の夏の事だった。
タイとの国際交流団体を設立して,チェンマイにおける日本 初の高齢
者のロングステイの民間拠点を造るためだった。
当時のチェンマイには,つたない記憶だが, 約300人くらいの日本人が
いた。ここの日本人は,殆どここチェンマイでODA(政府開発援助)に
よる市街地周辺の道路や,此処を拠点に地方へ伸びる高速道路の建設
工事に従事していた。
一部,外務省の外郭団体から派遣されて,此処で暮らす人たちの生活の
サポートや実態調査をする人もいた。此処での住いの実態や,食べ物
の値段,特に米や調味料などの入手先について,詳しい資料をお借りし
た事もしばしばだ。
⚫️チェンマイでも多くの日本の人たちにお世話になった。確かこの
ODAを監督するいわばボスのような存在の平田さんという方には,多
くの事を教わった。
日本人の多くの定年者が,此処で暮らすとなると,生活に関わるあらゆ
る事を充分把握しておく事が必要だと考えた。そのために, 此処で暮
らす人達の知恵を借りようと考えた。そのために出来るだけ多くの人
たちに会って,話を聞く必要があった。
⚫️夫婦2人が快適に生活するに対して、いかほどかかるかもしりたい。
これは、現地で暮らすに際しての最低の条件である。しかし生活する
だけのために、リスク承知で外地で暮らす人はいない。
何かチェンマイにしかない特別の魅力を求めてくる人も多いはずだ。
伝統的な産品とか,観光から見た特別の見どころなど,探るべきことが
多い。
チェンマイ周辺には多くのゴルフ場がひしく,ビジターを格安料金で
歓迎してくれる。チェンマイがゴルフ天国と言われる所以だ。
⚫️ロングステイヤーがタイで働くとか、所得することはできない。
しかしボランティアとして,日本語や日本料理を教えると言うことは
許されるはずだ。この辺りも確かめたい。あらゆる事を網羅して調
べることにした。
⚫️後にタイ政府のロングステイの所管は,2003年タクシン政権にな
って商務省から観光庁に移管された。困ったことにタイ観光庁の役
人は,日本人のタイにおけるロングステイを観光と考えて,何かと政策
立案しようとする。
我々は,ロングステイを「タイにおける生活」と位置付ける。
この「生活と観光」論争は、果てしなく続いた。今も続いてい
ると言っていい。これは民族の違いからくる生活論争に近い。タイ
に日本人が住まうのは,全て観光のためと決めつけている節がある。
大した自信と言っていい
⚫️チェンマイに来る前にたずねた バンコク大丸(百貨店)の役員の話
によると,北都チェンマイは日本の軽井沢に匹敵する避暑地で,首都の
バンコクで仕事をする企業のオーナーは,毎週金曜日の夕刻には,フラ
イトでチェンマイに向かい,週末をここで過ごすという。
チェンマイ周辺の山岳地帯には,格式あるリゾートホテルが散在する。
聞くところでは タイは古くからの観光国で,いまでいうインバウンド
に国を挙げて格別,力を入れてきた。そしてこれらのリゾートには,中
近東の王様や,欧州の金持ちが避暑に訪れ,家族で長期滞在するという。
中でも「フオ―シーズンズ,リゾートチェンマイ」は,常に世
界のリゾートベスト10 の常連で,世界極上のマウンテンリゾートの呼
び声が高い。私も1度だけ向学のために訪れたことが在るが, 未だ泊
まった事はない。
■■「プレー高齢者音楽演奏団訪問」
⚫️2017年2月チェンマイ国際財団のチェヤカーン会長をチェンマイ
に訪ねた。2年ぶりの再会である。
午前8時早速、彼の愛車マツダCTに乗り移りチェンマイを後にす
る。東にまっすぐ伸びる白亜の高速道路である。
チェンマイを始めて訪れた頃、道路建設のボス平田さんから聞いた、
緊急時には、いつでも戦闘機が離発着できるという幻の高速道こそ、
実はこの道路だった。
プレー県まで300キロの行程である。プレーはチェンマイ県を東に、
ランプーン県、ランバーン県をまたいで巨大な山岳森林の山並みの
中にある名勝の地だという。
やがて日本の湖畔にありそうな旧い田舎町に着いた。
チェヤカーン会長の友人が出迎えてくれた。まずプレーの特産であ
る「藍染め染工所」を案合してくれたあと、チーク材でできた大音
楽堂に案合された。
手に手に胡弓などの大きな楽器を持った藍染め半被姿の男女高齢者
の人たちが親しく迎え入れてくれた。
ここプレーは世界的なチーク材の名産地で、いまもこの地方
の産業の中核を支えていると言う。高級インテリアや住宅など世界
への輸出が主流だという。
この街を静かに囲むようにたたずむ、程よく低い山並みは、すべて
がチークの木々だという。
この特産品に支えられていて、タイ北部地方では最も裕福な県と言
われる所以だ。食事の後、歓迎の音楽が始まった。途中,地元特産の
紅茶ブレイクを挟んで約2時間に及ぶタイの伝統音楽の演目だった。
素晴らしい演奏だった。
80歳を頂点に殆どの人が70歳台、男女ほぼ同数の15人編成だと
いう。皆さん大半が定年退職者で週に2,3回、この音楽堂に集い、
演奏の練習を積んでいるという。
⚫️今までタイの高齢者事情については、余り詳しい事は知る由もな
かったが、日本同様、タイも少子高齢化が進行中で近い将来の人口
減少が危惧されている。いま日本でも、高齢者の生きがいのための
リカレントが、求められている。
この高齢者演奏集団の人々に、日本観光を兼ねて日本各地で演奏会が
出来ないか提案してみた。ほぼ全員の賛意を得たが2019年からの
コロナパンデミックでまだ実現を見ていない。
残念な事に一昨年チェヤカーン会長が亡くなった。私も91歳を数え
る。「寄る年波には、勝てない」
加齢が迫りくるだけに、プレーの友人たちの日本演奏会の実現に向け
て再度挑戦したいと考えている。
■■[JTIROの活動15年]
⚫️本来JTIROは, 日タイ国際交流と海外ロングステイのために2000年
に発足したNPOの活動団体である。
次いでタイの国内情勢を振り返ってみよう。
・2000年、🔵(チェンマイ・ロングステイの開始)
・2003年、タクシン内閣の出現.
・2003年、🔵(広報用メールマガジンの配信開始)
・2006年、軍事クーデター発生(タクシン内閣崩壊)タイ内乱、
2008年の反対派による首都空港の閉鎖は,外国国際便が
全て止まる。日本ではありえない出来事に,タイロング
ステイの安全に赤灯がともる。
・2008年、反対派による首都国際空港の閉鎖動乱、国際航空便が停る。
・2008年 🔵(現在の形式による広報グログを配信開始)
・2011年、タイ南部の大規模水害発生,タイ進出日本企業の工場も水没。
2011年のタイの大洪水には,首都バンコクをはじめ,タイ南部
の広範囲に亘り停電や交通便の停止や、国際航空便の欠便が
相次いだ。
・2014年、再び軍事クーデター 以降9年に及ぶ軍政が続く。
・2015年、軍政のためJTIROは,15年に及ぶNPO活動に終止符をうつ。
・2023年、🔵JTIROブログは、代表が引継ぎ、発行と配信を継続中、
🔴(クーデターとは)
日本人には、なじみがないが、中近東はじめ海外ではよくある話、
語源はフランス語「国家に対する一撃」中国語では「政変」という)
⚫️南国での格別の海外生活を求めた人達には、全く初めてと言う予
期しない軍事クーデターが起こり、安全神話への疑問が巻き起こる。
🔵戦後70年近く、些か平和ボケと揶揄されてきた日本人にとって
軍事クーデターは、全く初めての恐怖の出来事だった。
当然タイロンクステイには、異例のブレーキがかかる事になる。
⚫️現地からの水害情報を素早く写真報道で伝えた事が奏功して、
Jtiroブログは、1日の読者数が1万人を超えた。
🔴当時,頻繁に連絡をして来た高齢の会員(中小企業主)といろいろ
話しているうちに,チェンマイに度々行く目的が, ロングステイの
下見を表向き条件にした「女あさり」が目的である事が分かり,
即座に退会処分にするという悲しい事件もあった。
⚫️2014年4月JTIRO主催、日本外務省後援,ェンマイ商工会議所後援
になる初の海外文化イベント「日本のお茶会」をチェンマイ県の
経済人Yや文化人の200人を招いて都心ホテルで開催,大成功を収めた。
そして私どもがお茶会の成功の余韻に浸っている頃,突如として戦後
最大と言われる軍事クーデターが起こる。タクシンの妹になる女
性首相は国外追放となった。何とも恐ろしい体験をした。運よく予約
の国際航空便で帰国が出来た。幸運としか言いようがない。
その後タイは軍政に移管し今日まで軍事政権が続いている。
⚫️その間,国民から慕われた前国王が亡くなり,一帯一路を進める中国
の台頭でACEANによる南シナ海の情勢は大きく変わった。
そして15年に及ぶタイロングステイは,タイの国内情勢の変化や為替事
情(円安の進行による暮らしの変化)の変動要因で大きく後退する。
そして翌2015年には,タイロングステイの国際活動を中断せざるを得な
くなって遂にNPOを解散することになる。
15年に及ぶ国際交流活動は極めて残念な幕引きとなったが、担当する
私どもは,国際情勢の厳しい現実を体感する事で,日々流動する世界の現
実の厳しさを教わった事になる。
🔵チェンマイ花市場の花売り娘
⚫️ロングステイの拠点だつたタイ北都チュンマイには当時約3500人
の日本人ロングステイヤーが暮らしていた。しかし
・度重なるタイの軍事クーデターによる環境不安や、
・国際経済の変動がもたらす円安へのシフト
などは、当初年金で充分生活できると期待した高質な生活が全く不可
能になったと言っていい。
加えて当初予測できなかった、ロングステイヤーの老齢化が拍車をか
けた。これらは全て自己責任の範疇の話とはいえ、人々が初めて海外
で暮らす当初の期待感からして,後々起こるかもしれない事象までおり
こんて生活設計する事の必要性を教えてくれた。
その後、多くのロングステイヤーが、チェンマイを去って行った。
日本に本拠を持ち再度日本を生活拠点にできる人たちは,その後メー
ルなどで健在を知らして来た。
帰るに帰れない人達も多かつた。日本に拠点を持たない人達だ。
国際的な経済環境に拘らず,海外なかんずくチェンマイが大好きで,こ
この暮らしを選んだ人達も多い。
また最近よく話題になる孤独な一人暮らしの人達で,タイを終焉の地
にする人もいるという。
中には孤独なまま亡くなつたロングステイヤーも多い。遺骨の引き
取り手がなく現地の日本領事館が,その事後対応に追われる悲しいケ
ースもあると言う。まさに悲喜こもごももの終盤劇だった。
古から物事には必ず表と裏がある。
一見栄華を誇ったタイロングステイも,最初の展開が終わったいま,大
きな転機を迎えたと言っていい。
⚫️今までタイの高齢者事情については,余り詳しい事は知る由もなか
ったが、日本同様,タイも少子高齢化が進行中で 近い将来の人口減少
が危惧されていると知った。
ただ最近、世代交代の中、タイ北部チェンマイの環境が好転してきた。
ここで海外生活をしたいと言う本格のロングステイヤーが、増えつつ
あるという。これはあくまでデジタルによる情報だが、チェンマイが
再び活況に沸く事を期待したい。
⚫️ポストコロナの命題として、
・親しい国々間のインバウンドとアウトバウンド、
・国際便の増便、
・手続きの簡便化、
・受け入れ先の拡大、
など、10年前と異なり大幅の改善が進みつつある。現に国境の壁が無く
なりつつある。
国際交流の気運は、来る2025年の関西万博を目前にして新しい時代
を迎えようとしている。嬉しい次第だ。
🔵本日は「想い出と忘却の変遷」について、日タイ国際交流と、
タイロングステイの足跡を辿りながら検証してきた、
何はともあれ国際交流活動のよき想い出は、個人の領域を超えて国連
活動のSDGsの精神同様、その核となるところをいかに次世代に引
き継いで、継続し普遍していくかにかかっている。
このブログもその一環として、その役割を担っていければ幸いである。
(山田)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます