「21世紀はアジアとの時代」 (Jtiro🔴Jpn) SDGs.Webサイト(Editor: K.Yamada)

●Copyright © 2024.All rights reserved.●Since2008.
  

■記憶と忘却の相克2)

2023-06-23 | ●記憶と忘却の相剋

■■■■■■■■記憶と忘却の相克(2)■■■■■■■■

■■「苦々しい想い出
⚫️去る23年前の2000年に産声をあげた日タイロングステイの
試み
は、やがて来る2007年の団塊世代700万人が 一斉に定年
退職する
予備的な日本政府通産省の発案が、きっかけだった。
誰もが経験したことない就業人口激減の事態の到来である。
民間企業も政府の要請を受けて、定年を55歳から60歳に繰り延
べして
きた。既に長寿化の傾向があり,少子高齢化が危惧されていた。

⚫️敗戦から約40年, 戦後昭和の経済再興でGDP世界第2位まで昇り
つめた日本が,成熟化した世界経済の中でまさに真の実力を試される
時でもあった。
当時の自由世界は,あらゆる面で日本との協業を,心から望んでいたよ
うに思う。
無資源国の日本は,本来、資源を海外から輸入して,独自のアイデアで
付加価値商品を創り,海外にくまなく輸出して,国際的な評価と地位を
築いてきた。



所がその後の世界経済は,2008年の世界金融危機を契機に市場の様相
が一変した。当然「団塊世代2007年問題」も先送りされた。
国内経済は,長引く円高不況で,工作機械の部品や繊維製品の縫製加工
など,人手を要する部分を工賃が安い中国など海外
へ全面移管する,い
わゆる日本主導の「サプライチェンの移行」が始まる。


                           出所:ニッセイ経済研究所

当初,円高のもとでの海外での下請け生産は,後進国支援という意味あ
る仕組みだった。2000年以降,円高による日本の中国への海外生産移
行が本格化し,サプライチェン移行が実現した。
中国は,それを基盤に
して国内経済の充実化に努めた。

主な主眼項目はーーーー
日本をはじめ外資系企業との提携
製造業主体の態勢整備
輸出主導の態勢
労働集約的な歳入政策(労働力を使った経済の活性化)
この20年間の中国の台頭は著しい
その結果,GDP(国内総生)では,日本を抜いて第2位に浮上する。
2000年来の円高に伴う中国へのサプライチェンの移行は,ひいては
中国経済,共産国中国を強固にして,残念ながら米中問題や世界の分断を
もたらす動機になったという認識に変わりはない。

⚫️歴史とは,その時々の記憶の集積である。後に当事者として振り返
る事で価値が
生まれてくることが多い。だからこそ,歴史の中に 生息
した者としては,その活動の事実
を決して忘れてはならない。

多くの人間が口には出さないが、何処か無理に耐えて生きている。
そうでなければ資源も何もないこの小さな島国日本で,1億もの人間が
生きられるはずがない」      勇者は語らず」城山三郎著より

     

■■「初めての出会い
⚫️2000年6月、JR大阪駅前の渡辺病院に隣接する旧いビルにある
JTIROのオフイスを一人の男性が 訪ねて来た。天理市に住む65歳の
む玉永浩一さんだつた。

大阪で事業活動をしていたが,老後を好きな常夏のタイチェンマイで
ロングステイしながら社会貢献活動をして暮らしたいという。
何度かお会いして協議し,公式の先発隊として,現地チェンマイに赴い
もらうことにした。

現地チェンマイの旅行社ランベルツアー社長の ランシーさんが,
JTIROの現地
活動に特別,協力してくれる事になった。
まず繪画の指導免許を持つ玉永さんが、チェンマイ周辺の小学校で
ボランティア
の繪画教室を開講、多くの小学生に油絵を教える事に
なった。

チェンマイにおける日本の定年退職者ロングステイヤーによる社会
貢献活動
の第1号となった。地元日刊紙にも取材記事が載り,JTIRO
の存在が、
地元に紹介される貴重な機会になった。

⚫️2000年当時(約23年前)まだ携帯電話(モバイル)はなかった
通常の業務連絡は
固定電話か、FAXが唯一の交信手段だった。当時の
企業では,事務処理や業務には,ワープロ(ワードプロフェサー)が
重用さ
れ、後にFAXによる文字交信が可能だった。
PC(パソコン)が普及し始めたのは,2001年頃から,その足跡を辿ると、       
  (年次)     (インターネット普及率)(備考)

・1996年          3, 0%
・1998年       13,4%(Windows98発売開始
・2000年       37,1%(内閣にIT戦略本部開設)
・2003年       64,3(個人情報保護法成立)(郵政民営化)
・2005年     70,8%、
・2008年      iphone 発売開始、JTIROが広報ブログを開始
・2010年     78,2%
・2011年    「iPad」日本で発売開始、
いまにして思えば、デジタルの世界は日ごと,長足の進歩を遂げて
きたと言って
いい。
🔵私のデジタルとの出会いは1998年の春、いまを去る25年前、
66歳の時
だった。私的な業務の記録に,シャープが開発して話題を
呼んだ「ザウルスM1-C1A」を使い
始めた。その便利さが病みつきに
なり、新機種が出るたびに買い替えて累計3台
に及んだ。

🔵国際交流の仕事は2国間の業務連絡が多い。当初はワープロで書
類を作成し郵送していた。2001年からは,ほぼFAXで海外伝送した記
憶がある。2003年6月、初めてのPC(パソコン)を導入した。富士通だ
った。一瞬にして文書が電送でき,驚きの連続だった。

🔵携帯電話は、日進月歩の技術進歩に添い,毎年のように新型の機種
が発売された。
ドコモやauなどの通信各社に、PCや家電メーカーが
新規参入し,まさに百花繚乱
の様相を呈した。
但しインターネットの普及と海外との接続など通信の高度化で, 毎年
のように新機軸
の新機種が売り出される事になる。海外ビジネスを
やるものにとっては, 致し方なく
新機種高機能のスマホに移行せざる
を得ないという苦労が続いた。


私が使った初期の携帯電話
ここにある初期スマホの多くは,まさに毎年変容する情報通信に対応
した時代の確証と言える貴重な機種と言えるだろう。

20年後の今を一瞥すると、2008年の米国Apple社iphone
の新規参入で、世界の
携帯メーカーは、ほぼ3社に集約された。
そして殆どの携帯機器メーカーは、撤退を
余儀なくされた。

併せて2000年以降の日本による中国へのサプライチェンの移行

と、日本の半導体メーカーの市場撤退に伴う台湾、韓国メーカーの
台頭によるところが大きい。

日本は政府も民間も,来るべきデジタルなネクスト社会の到来の市場
予測が遅れた。

■■「伝統のコラボ
🔵話を本論(NPO日タイ国際交流活動)に戻そう。
2001年には,タイ政府商務省(当時のロングステイに所轄省)が推奨
するOTOP(タイの
伝統的な商品)の海外, 特に 日本での拡販を進め
るに際し,パタイ大阪事務所長(のちの
タイ国日本駐在公使)が、中核で
推進することに決まった。

 
 
  
OTOPのタイの伝統的な商品の多くは、タイ北部のチェンマイ周辺で
生産されており、

自然の感触を織り込んだテキスタイルや織物など,
籠など至極の竹製品や、
ハーブなど世界的な香料製品
既に評価が高いシルク製品や、
チェンマイ周辺の歴史的な陶器など
既に欧州で極上の評価高いジュエリー
現代薬学が認めるハーブ
特にヨーロッパや日本で人気のタイ料理など,
未知なタイとの出会いの機会を作り,戦略的に売り込んでいくという。
         
🔵早速、私どもが提案したのは,日本の古都京都の数千年に及ぶ伝統
商品の
モノずくりと、タイ北部の伝統商品の作者とのコラボを実現し
ようと
いう試みだった。

早速,京都の伝統的な織物や染の公的な組合「京都織物工業組合」に
出向き、
若手の織物作家や染色技能士や 和装デザイナーなど有能な
伝統工芸士を,
チェンマイに派遣いただく事にした。現地ではタイの
技能者との技能交流や懇談などの交流を行うことを
決めた。
京都新聞朝刊には,チェンマイで両国の技能士が,タイ国政府の要請で
渡航し,
チェンマイで作品発表会の開催が報道され話題をよんだ。

2002年秋のタイ政府商務省主催の日タイ伝統商品合同発表会は,
代表的な技能士など約70人が参加し、チェンマイ事務所の展示会
場を舞台にして京都の西陣織の着物や浴衣
のショウと、日本とタイ
北部地方の伝統商品(織物や陶器や伝統工芸)のが展示され大盛
況に終わった。


チェンマイロングスティヤー第1号会員の玉永さんは,浴衣モデルと
して舞台
出演し好評だった。
その後,タイ北部地方のOTOP関連生産企業の技能士のリストを作成し、
商務省
チェンマイ事務所が中心になりJTIROが協働して,年1回,チェン
マイと京都と
作家や技能士が交互に交流して,作品や商品のコラボの
実現を目指す事になった.

■■引継ぎなき世界
🔵2001年,タイの政体が変わった。タイ北部地方の農民票を背景
に勝利したタクシン
政権が発足, 2002年タクシン政権の省庁再編
でタイロングスティの所轄
が, 商務省から タイ観光庁に移行された。
あっという間
の出来事だった。

        

ロングスティは「暮らしのかたち」であり「観光ではない」とい
うのが私ども不変の主張
である。タイ観光庁への所轄変更に伴う現地
の態勢や考え方を立て直すのに一苦労した。したというより大きく後
退せざる
を得なかったと言っていい。

🔵タイでは,人事異動を含めて一切、業務の引継ぎをしない
という
より業務引継ぎ
というルールが存在しない
新任の部長や所長が着任すると、継続中の仕事はストップし 全て一
からの再スタートと
なる。ことによれば,執務室の様相が大きく変わ
ったり、ホームページのデザインが更新されたり
する事もある。

受けて手側からすると関連する仕事は,新任部長のもとで1から再ス
タートするか中止となる。
結果「1歩後退、1歩前進」となっても
結果、全然進行しない
のと同様と判り愕然とする。
これは官庁に限つた事ではない,伝統的なタイの悪習と言っていい。

🔵タイロングステイの日本における窓口は、タイ観光庁大阪事務所
に移った。
全てが一からの再スタートである。この時ほど疲れた事
はなかった。

にも拘らず2002年8月の事、タイ観光庁長官が来日し、急遽お会
いしたいという。早速,大阪
帝国ホテルに出向くと女性長官は「来る
2007年問題、日本の
団塊世代700万人同時定年退職
という 異
例の事態を前提に,この人たちをいかに
タイロングスティに取り込む
か、知恵と
手を貸して欲し」という。
そこで総裁の予測(心ずもり)を打診すると, 最低3%の20万人の団塊
世代が、タイロングスティに参加可能ではないかという。
日本政府の立場からすすると 一挙にこれだけの就業者が減退するのは
初めてという事で, 既に
就業延長や再雇用の検討が始まったところ。
お互いよく検証して対処しようという事
で話を終えた。

翌日、大阪帝国ホテルでのタイ観光庁長官主催の懇親パーティに出
席したところ,
長官挨拶の後、200人程の参加者との交歓に先立ち、
JTIROに対する「MOU相互協力協定書)の
交歓式が行われた。
極めて手際いい。

さすが王国だけに業務推進の進め方は、いたって素早く超一流である。
しかしこの試みは、日本政府による「2007年問題」の政策的な無
期延期により、なきものに化した。


🔵2015年のクデターの翌年、タイ政府観光庁主催の業界セミ
ーがチェンマイのホテルで開催され、講師として招
かれた。
タイの観光業界は、既に2008年のリーマンショックから立
ち直
り年間4000万人近い観光客を集めて世界第4位の観光国の地位
誇っていた。
日本はじめアジア各地から関係企業のプロが集結した。総括会議と
分科会に分かれて、2日にわたり講師の話を聞き,その後集団討議を
行い,集約して結論をまとめるという。
第1日目にはこんな事がおこった。私が主題を図示したボードを手
にして全ての論旨を説明し終わった頃、一番前の席の
30代女性が、
通訳を伴い笑顔で近寄って来た。
お願いです。セミナー終了後,私の家にお招きしたいのですが、
き及んでいただけませんか
」いぶかる私が事情を求めると、実はいま
国勢選挙のまっただ中で,兄が再選目指して立候補中だと言う。
その兄と激励の握手をお願いしたい」という。
まだ訝っていると,私の左手の手相がいわゆる「ますか
タイ
では非常に珍しく勝利を呼びこむと言う。


こんな話は,生涯初めての事なので, 比較的運を担ぐ性格の私は, 
喜ん
で訪問を引き受けた。2日後,チェンマイ山手の
住宅地のお宅を訪ね
兄の議員と念願の握手、夕食を御馳走になりホテルに戻つた。
帰国後,喜びの当選メールが届いた。何はともあれ人助けは楽しい。
タイ国の変った運担ぎの習慣と,
不思議なご縁の出会いに,改めて
タイの民間活力の凄さを感じた。タイは,どこまでも面白い国である。

  
■■「利便の効用」
⚫️国際交流の仕事は、2国間にまたがるだけに、さまざまな出会い
があったり、珍しい習慣に出くわしたりする。但し公的な色合いが
薄く、忘れることが多い。
メモを取っておけばよかったと悔やまれることしきりである。

スマホのカメラ撮影は、膨大な量の画像が、日時ともに記録できる。
簡便で最適の記録法だと最近になってきずいたが、時すでに遅し。
ChatGPTなどAIツールを含め、デジタル世界は、超スピードで人間
利便の世界へと向かいつつある。
忘却という人間の欠陥さえも、AIの利便がカバーしてくれる時代がや
って来るかもしれない。年寄りなどといって、あまえている時ではな
い。いささかも
乗り遅れないようにしたい。

⚫️時代の利便のために選んだ有為なこと
極上の選択、
伝統と革新の狭間、
不作為の一年、
分断と混迷の世界
亡国の危機
常在戦場
沈黙の共有
濃密な時間
孤立を恐れない
失意泰然
伝える言葉
民間活力
世間の耳目
余録と余話
有事の発見、
自助、共助, 公助、
アジアの未来

 

一人では何もできぬ
   しかしまず ひとりが動かなければ何もできぬ

                                             「人生の流儀」城山三郎著より)

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ■老いと向かい合う | トップ | ■夏の歳時記&観光日本 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿