【12月5日投稿分】
京都へ仕事で伺った折、時間が許しましたので、久し振りに家内と大原の寂光院(聖徳太子が父君用明天皇の菩提を弔う為に建てられたお寺)に参拝しました。このお寺は、平成12年(2000年)5月の夜中、放火(油が検出)によって、見るも無惨に全焼。今だに犯人は捕まっていないとの事ですもんね。このお寺は天台宗の尼寺で、平清盛公の娘である建礼門院徳子さん所縁のお寺。壇ノ浦でご子息安徳天皇と共に入水自殺を。が、徳子さんは敵(源氏側)に助けられて一命を。その後は、安徳天皇と平家一門を弔いながら、余生をこの寂光院で過ごされたとの事。だが、何の恨みかは知らないが、平家物語にも登場するこの名刹に火を。そうあってほしいの願いだが「よくもわが娘のお寺に、火を付けおったな」と既に、平清盛公からその犯人、鉄槌を喰らっておるんじゃないのかな。人の目は誤魔化せても、自分の心を誤魔化す事は、出来ないですもんね。悪い事をした、という心は生涯付き纏う事になる。それこそが、清盛公の鉄槌かな。
罰(バチ)といえば、こんな話がありますよね。弟子が師匠の山岡鉄舟に「神仏の罰(バチ)とは、本当にあるのですか」と尋ねた。「何でか」と問い返すと「罰(バチ)というは、本当に当たるものなのかなと、この1年間、神社の鳥居に小便を掛け続けましたが、一向に罰(バチ)など当たりませんでした」と答えると、山岡鉄舟が弟子に「もう既に、お前には罰(バチ)が当たっておるわ」と。「えっ、どんな」と聞き返すと「そんな事(鳥居に小便掛け)をしても、恥ずかしいと思わない心になっておるが、既に、神仏の罰(バチ)が当たっておる、という証拠だ」と。拙僧も含め、この言葉(そんな事をしても、恥ずかしいと思わない心)に当てはまる、身に覚えがある人って、結構に多いでしょうね。
家内と寂光院の本堂に座り『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響き、盛者必衰の理』をしみじみ味わっておりますと、そこに60代ぐらいかな、観光客らしきご夫婦が参拝して来て、本堂に足を踏み入れるや否や、旦那さんの方が「何だ、この寺の回廊は。落ちたらどうするんだ、大怪我するぞ。手すり(欄干)ぐらい付けておけよ」と、やや大きめの声で文句を。すると、奥様の方が旦那さんを白けた目で睨み「落ちない様に気を付ければ済む事でしょ。文句を言えば、何でも対応してくれると思いなさんな。こんなに長い間、回廊に手すりが付いてないという事は、誰も落ちてない、という事なんじゃないの。危険だと思えば皆、それなりに気を付けるわよ」と小さな声で一喝された。この奥様の言葉は、言いたい放題文句を言う、今の日本の縮図を、見せ付けられている様な気がしましたね。
この奥様の言葉を聞きながら拙僧、ある事を思い出しました。子供に見せたくない番組(8時だよ全員集合、ロンハー、クレヨンしんちゃん、など)というランク付けを定期的に、今も昔も飽きずにやっておりますが、見せたくないという親の言い分が「真似をしたら、どうするんですか」というものらしい。いやいや「親は子供達に、真似をさせないでくださいね」で済む話にて。世の中(社会)に出れば、子供に見せたくないものなんて、それこそ山ほどありまっせ。テレビ番組だけを規制しても、どうにもならんですばい。子供が世の中で染み付けてきたものを、家庭が濾過出来る場所でありさえすれば、然程問題ではない。まず、考え違いをしてはならないは、子供が生まれて初めて、人間の醜さ、人間の欲深さ、汚さ、嘘、二枚舌、悪口を目に耳にするは、両親の姿から、なんだけどな。世の中に文句を言う前に、親は、まず、自分の姿勢を正す事の方が、先ではないですかね。
さて、一昨日は、仙台で檀家82歳男性の葬儀をさせてもらいました。仙台のどこかのお寺さんに頼むという手もあるのに、わが寺が菩提寺という事で、わざわざ北九州の拙僧を呼んでくれました。ほんと、有難い事ですよね。葬儀の後、奥様に「夫婦位牌(めおといはい)にしましょうね」と持ちかけると「え〜、死んだ先まで、横に並ばないといけないの」と心にもない事を。「気心がわかってるから、楽でしょ。未来永劫の話なんだから。ご主人の戒名は、名前の『好(このむ)』を貰ったよ。ご主人のご両親は恐らく、命名する際に『魅力的な人間に育ってくれる様に』との思いで、この『好』という漢字を選ばれたんではないかな、と。実際、そんな人間に成長し、人情に厚い人生を過ごされましたもんね、ご主人さんは。そういう意味合いから『淳』の漢字を使い『〇〇院〇〇好淳居士位』と授戒させてもらいました。先で奥様が他界した時は、お2人の遺骨を粉砕機にかけて粉状態にしましょうね。1つの骨壷に十分納まるから、寂しくない様に、その様にしましょう」と言うと、また「え〜」と嬉しそうに、心にもない声を。
【付録】
拙僧はこれまでに、約10年間でSNSに3000話の長短法話、また、法話の本を3冊、世に出させて頂きました。そのご縁がきっかけとなり、テレビ(約半年、週1回)、ラジオ、新聞、雑誌などや、教育委員会、学校、幼稚園、病院、老人ホーム、デイサービス、町内会老人の集い、倫理法人会、他宗寺院、葬儀斎場、社員研修などへの講演(北九州在住の拙僧が、遠方では九州南部、関西、関東、北陸、東北まで。尚、檀家は千葉県にも)にも呼んで頂き、方々で法話交流を。あらゆる話とまでは言えませんが、様々なジャンルである程度(仏教仏事系の他にも、癒し系、漫談系、人生系、目から鱗系、子育て系など)の話が出来ると思いますので、何かのお役に立ちそうでしたら、時間調整の許す限り、集いの大小問わず(参加者数人でも)足を運ばせて頂きますので、お気軽に、facebook、X、Instagram のメール(コメント欄)で、お声を掛けてくださいませ。勿論、この様なお話でいいなら、でございますが。拙僧も今年で62歳です。父親の他界年齢を基準にすれば、あと僅かに10年。これより先の残された時間は、1人でも多くの人のお役に立てれば、との思いです。『今、自分に出来る事を、今やる』ですね。
下記で拙僧の過去の法話を読む事が出来ます。興味がございましたら、是非。
金剛寺ブログ :https://blog.goo.ne.jp/junko-0808
金剛寺ツイッター :https://twitter.com/kongouji093
金剛寺フェイスブック:https://www.facebook.com/天徳山-金剛寺-1543297575974719/
拙僧が持つグループ「出会うは運命、出会ってからは努力、最後は感謝」
金剛寺インスタグラム:https://www.instagram.com/tentokuzan_kongouji/?
【追伸】尚「法話が長い」と不快感を示されておられる方々には、大変心苦しく申し訳ないので、拙僧の法話が目に入らない様に『ブロック』をさせてもらっております。楽しみにされている方々もおられますので、ご理解頂きまして、それでどうか、ご容赦くださいませ。
次回の投稿法話は、12月10日になります。添付写真は、大原の寂光院。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/e2/f0faac8265e717834d9d472d6a60c05f.jpg?1733310389)