白洲次郎の別荘で街おこし…山形
(2011年11月8日 読売新聞)
戦後、吉田茂首相の懐刀として連合国軍総司令部(GHQ)と交渉に当たり、日本の独立に尽力した白洲次郎(1902~85年)が、山形市の蔵王温泉スキー場に残した別荘を観光に生かそうという取り組みが進められている。
街おこしなどを手がけるNPO法人「元気・まちネット」(東京都)がオーナーの了解を得て活用方法を検討。来月10日に山形市内でミニフォーラムを開催し、新たな蔵王観光の起爆剤とする活用案や、改修に必要な募金活動などを話し合う予定だ。
白洲は、英国ケンブリッジ大に学び、新憲法制定を巡るGHQとの折衝や講和条約の締結に奔走。毅然とした態度でGHQに「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。
別荘は、白洲が東北電力会長に就任した1951年、上の台ゲレンデ近くに建てられた。木造2階建ての洋風建築で計70平方メートル。室内は、オール電化に近い最先端の設備で、台所もオープンキッチンに木製のカウンターを設けるなどモダンな作りが特徴だ。
白洲は度々、東北電力山形支店を訪れ、当時の県知事や山形市長に蔵王をスイスのスキーリゾート地にちなみ、「東洋のサンモリッツにしよう」と提案し、山岳ロープウェイの建設に尽力。自身も別荘を建て、「(スキーは)ひゅっとやれん(できない)」を、スイス風ドイツ語にかけて、別荘に「ヒュッテ・ヤレン」と名付けたという。
別荘は、白洲が手放した後、ヤマコー(山形市)に渡り、その後、買い取った東京のスポーツクラブが所有している。以前はスポーツクラブの合宿などに利用されたが、現在は使われておらず、築後60年が経過し老朽化が目立つようになってきた。
別荘の活用を検討しているのは、戸沢村出身で、同NPO法人代表の矢口正武さん(64)。矢口さんは今年6月、別荘を地域振興に活用することを所有者に提案したところ、快諾を得たという。その後、地元の蔵王温泉観光協会などと協議を続けた結果、一般の人に開放し、誘客の起爆剤として活用する方向で一致した。
12月10日には、同市蔵王温泉の蔵王体育館で、「旧白洲次郎山荘と蔵王を語るミニフォーラム」を開催。これまでの経緯や建築士の診断結果のほか、活用案などが報告される。観光客が中に入れるよう改修する場合には、約1500万円が必要なため、市内外から広く寄付金を募ることなどを検討しているという。
矢口さんは、「60年前の別荘にオープンキッチンを作る白洲の先進性に驚かされる。スキーや温泉以外に、観光客が四季を通じて文化や歴史に触れる地域資源になり得る」と期待する。
同観光協会の斉藤長右衛門会長も、「以前から別荘は蔵王の宝として、どう生かせるのかと検討していた。白洲が蔵王をサンモリッツにしようとした夢をつないでいきたい」と話す。
(2011年11月8日 読売新聞)
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