珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

違和感4

2019-07-06 | 思うこと
アップル社を創立したスティーブン・ジョブス氏は自分が間違っていることがわかると喜々として自分の意見を変更したそうである。

及ばずながら、私もこの気持ちがわかる。
Sをやめた時も、また全否定でなく肯定すべき部分がわかった時も、沸き起こったのはニヤッとした笑みだった。

ある日、信じていたもののデタラメの部分を知った時。
これは鋭いと聞いた話題のブログを見て、何にも感じず響かず、むしろ嫌悪感の始まりのような違和感を覚えた時。
つい先日まで当たり前のようにいた世界からスーッと離脱するような軽やかな瞬間を、今でも鮮やかに覚えている。

喜びがしみじみと幾重にもわいてきて、それはまさに喜々だった。

一方で「いままでの自分を全否定するような恐ろしさ」だの「消えてしまいたくなるような敗北感」という、
さながらそれが良心とでもいう如くの、これでもかと繰り返される書き込みに、何度もポカーンとした。

私がおかしいのだろうか?

これは今日まで、一生懸命頭で理解はしても、自分の心には刺さらなかった一つである。
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怨念

2019-07-06 | 日記
物騒なタイトルだけど、夫から聞いた話である。

仕事場で先輩と、牽引(けんいん)の人がこぜりあいになったことがあった。
牽引というのは車を引っ張る仕事で(撮影で激しいカーチェイスのシーンなどの時、そんな運転をしながら芝居なんてできないから、実際は車が車を引っ張っている)、揉めたきっかけは「こんな邪魔なところに傘が置いてある」とかささいなことだった。

間に人が入ってその場は治まった。
だが、最後に片づけをしている時、映像に出る方の車が妙な感じて突然動かなくなってしまった。
映像の繋がり上その車をまた使わねばならかったのに、その車種も色も一台しかなく、すったもんだした挙句に撮り直しになって大変だったそうである。

そこで揉めた先輩が
「あんなこと言いあがって車がどうにかなれと思ったぜ。ほら見ろ」
と言っているのを聞いて夫はゾッとしたそうである。
そんなことは偶然といえばそれまでかもしれないけど、前から彼はねちっこいところがあって面と向かって言うというより、心の中で睨みを利かすようなところがあると言った。
「それがあの人の場合、
強いんだよ」

以前にそんなつもりはなかったが、その先輩がやるはずの仕事を頭で受けることになった時、なぜか毎朝どうしても起きられなかった。
目覚ましが鳴って必死で起きなきゃと思うんだけど、どう頑張ってもうっかり寝過ごしてしまう。
時間に厳しいはずの夫が、結局その仕事は数回遅刻をしてしまった。
(一度、集合場所が富士宮で、自腹で富士山近くまで行くことになって激怒した私(-゛-メ))

「そん時も呪われてたんじゃないか…」

オカルトじみた話だが、感覚が強い人というのは「何か」を感じやすいらしく、あながちそんなこともあるのかもと思った次第。
人を妬むなど誰でもあることだけど、やはり「ほどほどに」がいいんじゃないだろうか。
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