珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

閑話休題 兄嫁は19歳

2019-07-13 | 閑話休題
兄嫁は19歳


「韓流ドラマにハマったことがありますか?」という質問をされたら(ないけどw)、私は一つだけある。
「兄嫁は19歳」という2004年のドラマである。
10年くらい前にヘロヘロの育児の合間に、枯渇した胸をキュンキュンさせながら観た。
ラブコメのような話なんだけど(前半は特に)、根底にサスペンスがあって、なかなか奥の深い作品だった。
最初BSでチラッと観てから、TSUTAYAで全巻を二回連続で借りてしまった(笑)

これキャラクターが、それぞれいいのである。
個人的に夫と義兄を見ているような兄弟と、スジという悪女役がスゴイと思った。
スジの解説に
「美人で計算高く、状況判断と処世術に長けている。虚栄心と、ねじけたプライドの塊。彼女のプライドとは、正々堂々とした自信ではなく、コンプレックスや被害意識のようなものだ。 1度狙った獲物に対しては、病的な執着をもってつきまとう。標的を落とすためなら、卑怯にも、二重人格にもなりえる」
とあるように、ドラマの中では本当に病んで見える(笑)

ヒロインは清涼感がありながらイラッとくる優等生ではなくて、この女に負けない強いところがいい。

 あーやっぱり人生は小狡いことをせず、まっとうに生きよう!!と思える作品(笑)



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一般人って何?

2019-07-13 | ちゃんねる攻防
一般人…一般の常識、感覚をもっている人。
まあそういうことと思う。

でもここでいう「一般人」とは、具体的には、S関連の名無し掲示板で「自称外部」から頻繁に使われる言葉を指す。
そしてそれは
「無宗教のワタシは一般人だから常識的でまともな感覚だけど、Sとか元Sって何?
ホント何なんでしょうねアレ。闇が深いわね」

といった侮蔑を込めた捨てぜりふに使われる。

が、このモヤモヤもいい加減、明確に言語化してスッキリさせたいと思う、長引く梅雨のどんよりとした土曜の朝。
皆さま如何お過ごしですか。
では今日のお題は、彼らのいう
「一般人」の考察( ̄∇ ̄)

私から見ると、Sが「一般人」からかけ離れたカルトだの社会の掃き溜めというなら、便所の落書きと呼ばれるそれも全く同じと思う。
基準が違うだけである。
こういうところに好き好んで書く人も、独特の顔つきというかカラーというか傾向性がある。
否定したくても、それが客観性というもの。
絶望的な意固地さでもない限り、それはおわかり頂けると思う。

実際、そんな存在自体知らなかった私が何の先入観も偏見もなく見た感想は、彼らがSをなんだかんだ言うのと同じ印象か、いやもっと酷かった。

よく言われる「ふつうの常識のある人」なら、意見であれ批判であれ相応の範囲というものがある。
それを離れたら「何あの人?」となる常識ってものがね。
「正論であれモノには言い方がある」とか「会ったこともない人の一つの意見だけでそこまでの人格否定はどうか」などなど。

一般人にはそんな一般常識というものが働くが、ネラーにそんなものは不要。
例えば
「××さん、しつこくない?そんなこと蒸し返すのはよくないよ」
となれば、そうですねと終わるようなことが
「蒸し返さな~い、キャハハハハ!!」になるという感じ?
当然、一般の感覚をもてば「お薬やってんの?」になるけど、ネラーには通じない。
言語がちがうのである。

Sと同じと思う。(※全員ではないですけど)

何故と言うなら、Sの人が「よかれと思って」を免罪符にするなら、名無しは「特定されない」「言い逃げできる」という免罪符があるからである。
免罪符があれば、行き過ぎた正義であれ、決めつけであれ思い込みであれ、口汚さであれ上から目線であれ、それは寛大に許容される。
「行き過ぎた正義や決めつけや口汚さやから目線それがよくない」という主張を「よくないそれ」をもって語るダブスタもOKになる。

ホント、そっくり。

でも誤解しないで頂きたいのは、私はそんなネラーの方々の、入会はしないものの理解者である。
Sにもいろんな人がいるように、金太郎飴と言うのは乱暴という心がけをもっている。(机ドドーン!!)
Sを頭ごなしに撲滅と言わず、必要な人にはそれが救いになることもわかっている。
いつもじゃなくて「興奮した時に限り」暴走するのも、当人たちは「よそと自分は違う」「そんなものと一緒にするな」と反発するのも知っている(水ゴックン)

それこれも幸いにして、経験から学んだことなんだよね。
一般人社会であれどこであれ、人生の経験値に無駄はない!!以上。(拍手パラ)
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